まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

大学での生活4年間を漠然と振り返る

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こんにちは、まみずハルカです。今回は4年間の大学での生活を振り返ろうと思います。「大学生活」と書くと、幅が広くなってしまい乱文になる恐れがあるのであえて「大学での生活」と書いています。大学の敷地での生活についてですかね。

人によって様々だと思いますが、一例として軽く読んでください。

 

 

 

大学1年生

ぴかぴかの一年生でしたが、授業は大学生らしくサボっていました。一つの授業で3回休んでも単位は出るというどこから来たのかわからない噂を信じ、全ての授業を3回づつ休んでいた記憶があります。(出席を取らない授業は底なしにサボっていた)

成績は一番低い評価が並び、担任に呼び出されていました。単位があればGPAが低くても卒業できるだろうと、当時から高をくくっていたのでそれ以降も授業への態度は変わりませんでした。

また、大学生になるとサークルや部活に意気込んで入りますよね。私も例外ではなく入りました。そこでは合宿に行ったり練習をしにいったり作業をしたりと、とても忙しい日々を送っていました。3つの団体に入っていたので、授業をサボっていた割に学校にはよく行っていたと思います。特に、学祭は凄まじい忙しさで朝から晩まで休みがないほどでした。我ながら、よく頑張っていたなと思います。

 

大学2年生

この時に、キャンパス移転があったので引っ越しました。それと同時に全てのサークルや部活にはほとんど行かなくなりました。授業は一年の時と同様に雑な受け方をしていました。しかし、専攻の科目が増えていったので難易度が上がっていきました。人は理解できないものに対して苛立ちを覚えますよね。勉強していても楽しくなかったですし終いには、何でこんなことしているのだろうと気分が滅入ることもしばしばありました。特に、脈略のない暗記に私は苦痛を感じていました。そして、自分の中で何かがぷつんと切れました(?)。勉強したにも関わらず、いくつかの試験を受けなかったのです。その日のことはよく覚えていて、試験が始まっているなと思いながら家の時計をぼんやり眺めていました。完全に病んでいますね笑

この時に丁度、転学と編入についてたくさん調べました。(結果、転学資料の期限を間違え転学はできなかった。)もやもやした日が続いていましたが、それを振り切るようにアメリカに留学へ行きました。これは、それまでのもやもやを断ち切るきっかけになったと思います。様々な人の生き方を知ることで起業したいなとか価値を生み出す人間になりたいなとか考えるようになりました。

 

大学3年生

三年生になった時、ぼんやりと「留年」の危機を覚えました。流石に1年間を無駄にすることは絶対にしたくないと思い、授業にしっかりと出て勉強を頑張っていました。かなり、ストレスでしたが今までのツケをここで払いました。また、インターンにたくさん行きました。一方で、大学で何かをしたという記憶がほとんどないです。(今回は大学での生活について書いているのでそれ以外は書きません。)(にしても、大学3年生薄いな。)

 

大学4年生

授業はほとんど取り終えましたが、必修科目と再々履修の科目が残っていました。それに注力してなんとか単位をとりました。また、卒論があったので夏前からぼちぼち内容を考えていたと思います。そして、夏休み明けから本格的に実験をしました。開発ではなく研究なので、地道な作業だったなと思います。しかし、幸運なことに私の研究室は毎日学校に来なければならないという義務がありませんでした。だから、私は近所のファミレスで作業していました。週1回のゼミと実験の時以外は学校に行きませんでした。そして、卒論が終わってすぐに卒業制作に入りました。これもまた骨の折れる作業でした。基礎構想までは楽しくできますが、そのあとの作業ではお頭がおかしくなります。自分の入った学科に自分は向いていないなとぼんやりと思っていたのですが、最後の最後に確信に変わりました。卒業設計もできる限り学校以外でやりました。

ここまで書くと学校嫌いな人間と思われると思いますが、そうではありません。単純に一人で作業する方が格段に効率が良くなるタイプなだけです。そして、卒業設計が終わったと同時に学校の敷地を踏むことはなくなりました。

 

以上、私の大学での生活でした。大学での生活を振り返ると、後悔もなければ特に執着もないなと感じてしまい少し寂しいです。しかし、将来の私につながることは断片的に山ほどあると思うので、そのかけらを背負って新たな人生を歩んで行こうと思います。

では、また〜