まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

【映画日和】劇場映画5作品を振り返る

最近見た映画を簡単に振り返りたい。アウトプットしないと、趣味から消費のランクに落ちてしまう気がするので軽く書く。(ネタバレ含みます。)いつも見る映画が偏っているので、他映画と比較して評論したり、あらすじを書くなどはしない。あくまで、自分が気に入ったシーンや感じたことを書き殴っていくので悪しからず。

 

「SING 2」

Universal Pictures Japan

SINGがシリーズ化したもの。元祖SINGを見たことがあり、良い印象を持っていたので鑑賞を決めた。アニメ系映画を基本的に見ないが、なかなかよかった。(今回も無事泣いた。)

私が一番好きなキャラクターは、ストリートダンサーの猫。(名前はわからん。)エネルギーに満ち溢れていてポジティブ。既存のやり方に捉われていない所がかっこいいなと思った。

 

そして、一番好きなシーンはやはり最後のミュージカル部分。キャラクターごとの性格や人生が反映されていて、集大成という感じがした。特に、演劇社長のわがまま娘のオオカミの舞台が特に良かった。自分の悪行(わがまま)を反省し、全力で目の前のことをやり切る姿は素敵だなと思った。(そして、このオオカミちゃんの声がかわいかった。)

 

エッシャー通りの赤いポスト」映画『エッシャー通りの赤いポスト』オフィシャルサイト 2021年12/25公開

有名俳優や女優がメイン登場人物として出ていない、園子温監督作品。一見素人映画のように見えたが、役者さんの全力演技が上手く、さすがに完成度が高かった。(役者さんの全力さに泣いた。)

 

私が一番好きな登場人物は、公式HPで「殺気立った訳ありの女」と紹介されている藤丸千演じる「安子」だ。この子の真人間っぷりが最高だった。人生を全力で生きている人、表層的に取り繕うことなく本質を突く発言が完璧だった。そして、圧倒的なルックス。かわいい女の子がこの真人間的性格になるのは現実世界ではほぼありえない。なぜなら、容姿端麗な人は他人からちやほやされるため、綺麗な心を持ちやすい。その反面、現実の汚い部分を見る盤面が少ない。だから、天才でない限り、社会に反抗して現実を突きつけるような言動を取らないのだと思う。

 

しかし、映画内なら存在できる。容姿端麗な真人間。ダントツで大好きだし、憧れる。(あー、なりたい。)陳腐な言葉だが、1日1日を後悔せずに生きなければダメだと改めて思った。映画のテーマが「人生のエキストラになるな」らしい。日常の中で、自分の立ち位置や程度を決めて、忖度しながら社会人を全うしている。これもある種必要なスキルだが、一番大切なものでは決してない。いつでも「自分がどうありたいか」と「理想の自分になるにはどうすべきか」を問いながら生きなければならない。自分の現状を見つめ直し、悪癖を正すきっかけになった映画かもしれない。

 

「夕方のおともだち」

夕方のおともだち (CUE COMICS) | 山本 直樹 |本 | 通販

始まりのシーンからSM描写が炸裂していた。普通に淡々と生きているように見える人ほど、なにかのきっかけで常人とはかけ離れた癖を持つようになるのだろうか。特に、仕事ができるわけでもモテるわけでもない陰気な人ほどこの傾向を持つのかもしれない。そして、変人と化していく。私は日常生活で変人ウォッチャーをしている。

だが、お眼鏡に叶う変人はなかなか見つからない。面白そうだと思って近づいても、忖度が見え隠れしていたり、意志が弱かったりして幻滅する。私の生きている界隈(会社員として一生を終える系)では変人率はかなり低い。なんなら私が一番、変人なのかもしれない。

 

話を映画に戻すが、会社とプライベートを分けて、プライベートに非日常を求めようとする感覚は共感できる。主人公の見た目冴えないおっさんは、退勤後ハードSMクラブに通う。そして、心を満たすのだ。仕事内容、勤務時間などルーティン化すると、外に刺激を求めるのは無理もない。交友関係が広い人や家族を持つ人なら、プライベートの会話である程度の刺激が安定供給されるだろう。

しかし、そうではない人は自分の生活がつまらなく思えてしまう。「何のために生きているのか」という命題に一瞬で行き着き、答えがでないまま悶々と過ごす。そして、ふとした拍子に人生の転換期を迎える。この主人公の場合、SMクラブとの出会いがそれだ。私も交友関係が広いわけでも所帯を持っているわけもない人間のため、人生の中でどう転換期を迎えるか少し怖い気がする。

 

「ドライブ・マイ・カー」

映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイト

これはじわじわと面白くなる系の映画だ。おそらく、動画配信サイトで鑑賞した場合、途中で退屈になって寝るか見るのをやめてしまうだろう。しかし、劇場で最後まで見ると感傷に浸ることになった。

 

映画タイトルにもあるように運転シーンがたくさんある。最近、私は訳あって自家用車を廃車にした。運転をするのが好きなのだが、この映画を見て余計に車が欲しくなった。役者の主人公は運転中に、セリフを吹き込んだカセットテープを流し台本を覚えることをしていた。これは、彼にとって車内でする最適な習慣なのだ。私も毎日のように運転していた日々は、車内を楽しんでいた。いつでもできそうなことだが、運転中にするのが最適なことがいくつかある気がする。

私の場合だと、「歌うこと」と「一人プレゼン」だ。これは家でもできそうなことだが、賃貸の壁薄アパートでは全力でできない。車内だと心置きなくできるから好きだ。そして、わざわざ時間をとってやることでもないことがいい。運転は一応、目的地があり、それに向けて車を走らせる。カーナビがあるため、道に迷う心配も頭を使う必要がない。だから、法に触れない「ながら運転」がしやすい。運転にある程度慣れている人なら、割とリラックス状態でいれるだろう。

 

「死刑にいたる病」

映画『死刑にいたる病』オフィシャルサイト 2022年5月公開

猟奇的な犯罪を繰り返す一見優しそうな男の話。阿部サダヲの真っ黒でブレのない目がサイコパスとリンクしていた。爪を剥ぎ取るようなグロシーンは目を背けたが、内容としては考えさせられるものだった。サイコパスは持って生まれた気質ではあると思うが、歪んだ環境下で生きることで、よりその悪い面が助長されるのだろう。

 

魅力的で頭が良くて完璧に見える人ほど、それなのかもしれない。人を操ることに快感を覚えるのは人の本性かもしれないが、共感性のある普通の人間ではできない。それを成し遂げるのが、オウムの教祖のような人格なのだろう。自尊心の低い人間へ「自分はあなたの理解者だ」「あなたはできる人間だ」と伝え続けると確かに人を変えることができる気がする。これを良い使い方をすれば、みんなハッピーになりえる。

 

ただ、この人の自信をつけさせる側の人間は、かなり強い精神(人並み外れた精神)を兼ね備えていないと成立しない。なぜなら、人を褒めるのは自分自身に余裕がないとできない。自分のメンタルが安定していないと神経は自然と自分に向いてしまう。そして、人間らしく自己中に考え行動する。では、一般人がサイコパス風(映画内の当該男風)に振る舞うとどうなるか。自尊心の低い人間はおそらく、人の本音を見抜くのが上手い。だから、取り繕った言葉は一切心に届かない。つまり、無理して放った言葉は効力がないのだ。

サイコパスは息を吸うように自然に褒める言葉を言える。心から思っていなくてもそれを本音として一般人は受け取る。感情がないのは、嘘でも真実でもなく無なのだと思う。