まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

理系の卒論を振り返る

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こんにちは、まみずハルカです。今回は、卒論について書きたいと思います。

 

夏まで

夏前から、研究内容はゼミで指導教員に助言をもらって研究の方向くらいは決めていました。しかし、8月中旬から9月にかけて私の「夏休みは絶対学校に行かない!!」という強い意志のものとゼミに一切行きませんでした。そして、夏休みは過ぎ、10月に。私は卒業論文だけでなく卒業設計があるタイプの研究室だったので卒論の提出〆切は11月末でした。一般的には2月の提出が多く、その人たちは10月から始めても余裕だと思いますが私の場合は同じ10月でも訳が違います。大急ぎで研究内容を決めて、実験をしました。

秋から実験開始

一度実験をしてゼミで先生に結果を報告して、助言をもらってまた実験というループを毎週していました。実験から得たデータを分析するのは単純作業でした。カフェや家で無心にエクセルをポチった記憶があります。改めてエクセルに文字を入力するような仕事は不向きだなと感じました。データサイエンティストなるカッコいい名前の職業も私には適性がないと思います。そして、卒論提出の5日前まで作業を行いなんとか「ぽいグラフ」と「ぽい表」を完成させました。

卒論執筆

そして、いよいよ卒論梗概と卒論を書き始めました。卒論自体は、実験の説明をできるだけ詳細に書くことで文字を埋めました。しかし、予想外に時間がかかったのはグラフの形式を整えることです。グラフの枠を消したり、グラフの書式を統一させたりととても手間がかかりました。私の実験は30通り行い、グラフの種類は3種類あったので全部で100個くらい体裁を整えなければいけませんでした。(一気に直せないのが辛かった)その反面、グラフが多いと卒論のページ数を稼ぐことができます。文系にはできない技ですね。(初めて文系に「手間」という面で勝利した瞬間・・・)

 

そして、なんとか卒論を提出することができました!これで卒業に近づいたと思うと晴れ晴れした気持ちがしました。(その後卒論の修正期間というものが設けられていて再び卒論に戻されることになりましたがそれも、なんとか切り抜けました。)

総評

総じて、卒論は大変なことが大半でした。実際に手を動かして、緻密にデータを取ることは苦労でした。卒論ごときでヒーヒー言っている私は、院に進学してさらなる実験をする人生を選ばなくてよかったなと心から思います。院進学か就職を選ぶ時期は、まだ本格的に卒論着手していないので向き不向きを検討するのは難しいですよね。

 

「理系」というのは論理的思考力があればOKな世界だと大学に入る前までずっと思っていました。しかし、実験はデータ採取という目的がありそのデータを分析し人にわかるように考察しなければいけません。そこでは、抜け目ない作業や黙々と繰り返し実験をするという精神力が必要だなと思いました。高校までの理系を振り返るとその特徴は確実に異質だなと感じます。

 

話が少し逸れますが、私は「自分は理系だ!」とずっと思って生きてきました。始まりは小学校低学年からです。計算(筆算)はいつもクラスの中で一番早くに先生に提出していました。その後、算数や数学は自分の分野だと思って生きてきました。特に図形の問題を解くのが得意でした。「補助線を引くこと」などをひらめくのが楽しかった記憶があります。当時の私の文理に関するイメージは「理系=その場で頑張る」「文系=暗記(単純作業)」という思考だったと思います。(完全に、学びの感覚ではなく、テストのための勉強の感覚ですね笑)

 

大学に入ってこのイメージが払拭されました。文系でも論理的思考力が必要ですし、理系でも単純作業はより必要だと感じました。

 

私自身、文理にこだわる傾向があったなと思います。特に、理系の人は妙な「理系プライド」を持っている人が多いですが私もその一人でした。しかし、結局は「いかに自分の気質とその活躍分野が適合しているか」が一番のキーになります。私の場合、大学卒業というタイミングで文転をしたみたいなものです。だから、それなりに自分の適性を精査し選択できたかなと思います。文系からの理系の転身はハードルが高いと思うので、大学で理系の道に進んでよかったなと今は思っています。(大学生活途中で、自分が文系向きであることに気づき、病んだけどね笑)

 

では、また〜