まみずハルカ’s blog

私の日常もあなたの非日常。頭は理系、心は文系の九大女子が送る。持論という名の暴論。

財布ないからペイペイで生きながらえた話

こんにちは、まみずハルカです。

 

今回は、タイトルの通りペイペイで生きながらえた話をしようと思います。

(7月の話。)

 

それは、旅行中のことでした。

とある島へ行くことになり、貴重品をホテルの金庫にあずけることにしたのです。

その金庫は部屋の中に付いているものではなく、ロビーに預けるという形でした。

つまり、番号タイプではなく鍵タイプでした。使う分の現金以外のすべての貴重品を預け、出かけました。そして何の疑いもなく一日中遊びました。

 

1日を終え、ホテルへ帰ってきました。

ロビーへ行き、カバンの中から貴重品の鍵を出そうとするとない!!

どこを探してもなかったのです!!

その旨をホテルの人に伝えたところ、貴重品のマスターキーはないとのこと。

(セキュリティ面を考えると、で貴重品のマスターキーがないのは当然のことですね。)

 

幸い、落とした場所に心あたりがありました。

(現地のツアーの方に連絡したところ、鍵の落し物があるとのこと。)

しかし、その場所は辺鄙な島です。フェリーは1日2隻しか来ないところです。

つまり、輸送に時間がかかります。さらに、私は次の日の飛行機で帰らなくてはいけないのです。(航空券は予約番号で発行するタイプなので問題ない。)

 

そこで、私ができる手段は二つです。

一つは「鍵屋さんに開けてもらうこと」。もう一つは、「鍵がホテルに到着した後に貴重品をホテルから家に送ってもらうこと」です。

鍵屋さんの場合、お金がかかってしまいます。普通の家の鍵なら開けやすいのですが、貴重品用の頑丈かつ古いタイプの鍵なのでかなり高額になってしまいます。そのため、私は後者の選択をしました。

 

そうなると、問題はお金です。残金が2000円くらいしかありませんでした。

もちろんクレジットカードも金庫に入ってしまっているため使えません。

最寄り駅から空港までのお金を考えると自由に使えるのが1000円くらいしかありませんでした。さらに、最後の日にお土産を買うと計画していたのでお土産をほとんど買っていませんでした。旅行に行ってお土産なしは悲しい。

 

そこで、考え出したやり方は「ペイペイ」。

どうにか電子決済でやりくりできないかと考えたのです。

クレジットカードの番号を知る手段を模索し、奇跡的にクレジットカードの番号にたどり着くことができました。

ペイペイはコンビニで使うことができるため、飢えを凌ぐことはできます。

 

また調べてゆくと、1店舗のお土産ショップでペイペイが使えることがわかりました。

電子決済サービスなどの設備が良いからなのか、他の店より割高でしたがお土産を買うことができました。

しかし、もっとお土産を買おうと思い、同じ店を使おうとしたら利用制限にかかりました。それでも、必要最小限のお土産は買うことができてよかったです。

 

以上、旅行先のトラブルでした。

私は普段、鍵を無くすタイプではないです。そのため、珍しい経験だったなと思います。教訓として、「鍵はファスナー付きのところに入れる」ということを心に留めておきたいと思います。

 

では、また〜

 

 

 

電子レンジ故障で死にかけた話

こんにちは、まみずハルカです。

私事ながら、今回は電子レンジが故障した話を書きたいと思います。

 

私は、電子レンジでご飯を炊くのが習慣でした。

その日は深夜3時くらいに目覚め、なぜかご飯を炊こうと思い立ちました。

(これが、元凶ですね。)

 

いつも通り、1.5合分の米を専用の容器に入れてレンジにかけました。

15分間700Wです。そして私は眠りにつきました。起き上がったときにはご飯が炊き上がっているという計画です。

しかし、その2時間後に恐怖の起床をします。目覚ましは、「悪臭」。焦げ臭さで目を覚ましました。

料理をした覚えはないため、最初は外から臭っているものだと思いました。

しかし、キッチンへ行き電子レンジを見るとまだ動いているではないか!

見ると、15分にセットしたはずの回しがずっと15分のところで止まっていました。

もちろん、電子レンジは稼働し続けていました。

それを見るなり急いで電子レンジを切りました。

 

このときには、すでにキッチンはもちろん他の部屋にも強烈な悪臭が立ち込めていました。

そして、全ての窓を開け、換気扇をまわしました。

しかし、束の間の換気で効くレベルの悪臭ではなかったです。

安全な空気を吸える場所が部屋のどこにもなかったため、私は急いで外に避難しました。1時間ほど、外で時間をつぶしました。

 

そして、家に戻りました。相変わらず、焦げ臭さは感じました。

おそるおそる悪臭の大元であろう電子レンジを開けてみました。

すると、ご飯を炊くための容器がどろどろに溶けていたのです!

まさに、恐怖映像でした。おもわず、これを見た瞬間に電子レンジの蓋を閉めました。

結局そのまま、その電子レンジは粗大ゴミに出すことにしました

 

ふと、自分の吸ってしまったガスが有毒なのではないかと不安にかられました。

そして、たくさんネットで調べました。

まず、私がレンジに入れた容器についてです。

この容器の原料はポリプロピレンというプラスチックでした。

完全燃焼した場合、水と二酸化炭素になるため有害ではないと書いてありました。

しかし、あくまでも完全燃焼した場合のことなのです。

私が吸った悪臭は不完全燃焼時に生じる有毒ガスに間違いありません。

ただ私の場合は、少し吸ってしまった程度であるため健康被害は見られなかったです。

(良かったです。)

 

また、キッチン中に黄味がかったススがついていました。

これは、ススの入ったガスが充満していたことを物語っています。

食器や調味料の蓋などにもついていたので片っ端から拭き取って行きました

壁や天井にも付着しているので、完全に拭き取ることは難しいです。

5日ほど経った今も換気扇を回し続けている状態です。

匂いは焦げ臭いものです。まるで、喫煙者の部屋のようです。

 

電子レンジが故障して有毒ガスが発生するとは思ってもみませんでした。

日常の中に潜んでいる事故は見えづらい分、怖いなと感じました。

私の場合、レンジで温めてから2時間ほどで気づきましたがもう少し長かったらどうなっていたかわかりません。

ポリプロピレンは可燃性があり、融点が低いです。

つまり、電子レンジの熱により発火する危険性はあると考えられます。

私の電子レンジはマックス15分しか温められないものだったので、それ以上熱するととても高温になります。

 

買って1年半しか経っていないですが、故障してしまいました。残念ながら、

保証期間が1年間限りだったのでメーカーに出すことはできませんでした。

 

家電製品の故障は、火事や火傷の原因になったりするため恐ろしいです。

たくさん調べていましたが、いまだに原因がわかりません。

次回、電子レンジを買う際は安物はやめておこうと心に留めるばかりです。

 

家電の故障で思い出しましたが、私は髪を巻くコテも故障したことがあります

アメリカに留学に行った際に、日本用のコテをそのまま使っていました。

数週間後、軽く爆発しました。電圧は問題ないはずだったのですが、電圧の微妙な差による不具合だったのかなと思っています。この微妙な差が家電を凶器に変えるのかもしれませんね。

 

たくさんの電化製品に囲まれた生活ですが、利用者は仕組みを十分に理解していません。だから、危険な使い方をしていたとしても気づかないと思います。

例えば、電子レンジの上や脇に物を置かないことやこまめに内外を掃除することです。簡単に見えることや、どうでもよく見えることでもそこが命綱になることがあるのだなと思いました。

 

皆さんも気をつけくださいね。

 

では、また〜

 

 

 

 

 

 

人を見て回答を変えるという技法

こんにちは、まみずハルカです。

 

前回は、マルチ・ポテンシャライトについて書きました。

そこで紹介した本の中に「マルチ・ポテンシャライトは職業を聞かれた時、

人に応じて答えてを変えても良い」という趣旨のことが書かれていました。

 

これを読んだ時、はっとしました

なぜなら、人によって回答を使い分けるという技は私はよく使うからです。

つまり、聞き手の性質によって自分の回答を変化させるのです。

残念ながら、最近はめっきり「将来の夢」を聞かれることが減りました。

 

しかし、自分の好みのものについてはよく聞かれますよね。

自分が何が好きなのか、または嫌いなのか固定できるものではありません。

好みが変動的であるからこそ、質問者によって回答を自由自在に操れることができるのです。

 

例えば、「好きなアーティストは誰?」と聞かれたとしましょう。

この問いに対し、基本的に私は「ポルノグラフィティ」と答えます。

これを言うことで、「私も〜!」とか「サウダージ好き!」と会話が弾むことが多いからです。ポルノグラフィティはテレビに出るようなメジャーなアーティストです。

そのため、「知らない」という人は極端に少ないためその後の話に続きやすいのです。

 

一方、仮に相手が「モーニング娘。好き!」と言ったとしましょう。

私は迷いなく、「私も!!」と答えるはずです。

モー娘。」は私の一番好きなアーティストというわけではないものの「好き」ということは間違いないからです。

 

また、相手がバンド好きと分かれば、「女王蜂」と言うこともあります。

バンドに詳しくない人で「女王蜂」を知らない人は多くいます。すると、これを相手を選ばず答えることで「知らない」と言われるリスクが上がるのです。

 

このように、好きなアーティスト一つ取っても

自分自身の回答を様々なものに変えます

 

ではどうして、「自身の回答を変える」 という行動をするのでしょうか。

理由の一つに、「相手に共感が得たい」「趣味が違うと思われたいくない」という心理が働いているからだと思います。

相手とは全く違う趣味を答えることで、「相手のことに反発している感」がうっすら出てしまいます。

そうすると、その後の会話がお互いに「趣味の違う人」と位置づけて話すことになります。これは、できれば避けたいですね。

 

私は、趣味がころころ変わるタイプなのでどんな人とでも会話を合わすことができると思ってます。たとえ、自分が知らない分野の話をされたとしても興味を持つようにしています。(自分の気になるところを突っ込んで質問すれば自ずと面白くなる。)

 

自分の代名詞となる「好きな唯一なもの」がないのは悲しいです。これが、あると自己顕示しやすいからです。「自分はこれだ!」というものがあれば、「自分は何者だ?」と悩むこともないですからね。しかし、広く浅く様々な分野に飛び込むことは自分の気質なので認めるしかありません。「多様性」を持つことが個性というなんだか矛盾しているような人間だなと感じました。

 

みなさんは誰に対しても唯一の回答を決めていますか。

気になります。

 

では、また〜

チーム, モチベーション, チームワーク, 一緒に, 一緒, グループ, コミュニティ, グループ作業, 協力

マルチ・ポテンシャライトという人について【好奇心旺盛/飽き性な人必見】

こんにちは、まみずハルカです。

みなさんは、マルチ・ポテンシャライトという言葉を知っていますか。

私は、1週間くらい前にこの言葉を知りました。

マルチ・ポテンシャライトとは、

興味が移り変わりやすく、多様性を重んじ、クリエイティビティに向いている人」のことです。

 

 

<マルチ・ポテンシャライトとマルチタスカーとADHDの違い>

 

まず似た特徴を持つ人として、マルチタスカーADHDの方が挙げられると思います。

あくまで私の認識ですが、ざっと違いを書いていきます

 

マルチ・ポテンシャライト

ある時点で別の対象に切り替わる。期間は3ヶ月くらい。今まで熱中していたにも関わらず、突然「見えた...」と思い興味が減衰する。

(のちに紹介する本の中には4パターンの特徴が書かれていましたがこのパターンが一番わかりやすいので採用しときます。)

 

マルチタスカー

物事を同時並行で行う。脳内で物事を切り替えずにできる。もしくは、短時間(数分数秒単位で)で切り替える。「ラジオを聞きながら勉強」など。対象は2個から3個などある程度絞った中で行き来しているイメージ。

 

ADHDの人(または、隠れアスペ)

興味が瞬時にバチバチ変わる。特定の興味を行き来するのではなく、範囲は広い。手当たり次第興味を持つ。

 

マルチタスカーとADHDの人はマルチ・ポテンシャライトではないと私は思います。

しかし、その特徴の違いがどこにも記されていなかったので書いておきました。

 

<マルチ・ポテンシャライトと私との出会い>

 

さて、話を戻します。

私が、この言葉「マルチ・ポテンシャライト」を知ったきっかけはグーグル検索です。

たしか、「興味が変わる」と検索したと思います笑

そして、マルチポテンシャライトという考え方を知りました。

 

マルチ・ポテンシャライトの特徴をざっと見た瞬間、「これ、私やん!」と思いました。そこで、この考え方を提唱したエミリー・ワプニックのTEDトークを聞きました。

正直な感想として、曖昧だなと思いました。具体的に、マルチポテンシャライトが生きていくための手法を言っていなかったからです。ただ「マルチ・ポテンシャリストは素晴らしくて世界の役に立って必要な人間であること」を強調しているように見えてしまいました。もちろん、TEDトークは時間に限りがあるため十分な情報を視聴者に伝えるのは不可能だから仕様がないですね。

 

そして、このエミリー・ワプニックが書いた

マルチ・ポテンシャライト好きなことを次々に仕事にして、一生食っていく方法』という本が目に止まりました。

本の題名からして、典型的な自己啓発本という印象を持ちました。

 

レビューを見ると、「この本で救われた」「自分を認められた」などの宗教の信者のような書き込みがうようよしていてなぜか私はイライラしてしまいました。

私が不満を持った理由は、「この人たちは、真のマルチ・ポテンシャライトではない。ただのフリーター・ニートもしくは意識高い系かぶれやろ。自分を美化するために、自分の都合の良い考え方に寄生するのは痛すぎる。」と感じてしまったからです笑

 

どうして、ここまで攻撃的な意見を持ってしまったかというと私はこの気質でとても生きづらさを感じていたからです。つまり、苦しんでもないのに短絡的に自分はマルチ・ポテンシャライトだ!(ドヤ)というレビュアーに一抹の憤りを感じてしまったのです。

(これは、私の問題です。すみません。)

 

一つのことに固執する人が評価される世界にずっと生きていたからかもしれません。まず、評価されるとは「表彰されること」「コンテストで優勝すること」「成績で一番になること」などです。

つまり、特定の分野に秀でていないと評価されないスペシャリスト優位の世の中なのです。その中で、生きてきて「マルチ・ポテンシャライト」の概念を知っただけで「自分自身が救われる」はずがないのです。少なくとも、スペシャリストが優位な社会は今すぐ変わるわけがないからです。

さて、自称マルチ・ポテンシャライト批判はここまでにしておきましょう。

 

<この本を読む前の違和感>

 

私は、この『マルチ・ポテンシャライト好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法』という本を読んで見ることにしました。そもそも、私は自己啓発というジャンルの本はあまり読んだことがありませんでした。所詮、「自分の人生を自分で肯定できないから誰かの理論を借りて自分を認めよう」という他力本願な人が読むための本と思っていたからです。(あくまでイメージです)

そのため、

ブログでこの本を批判しようと思ったのがこの本を読もうと思った理由です笑

読む前から考えていた批判は次の通りです。

 

・結局、社会はスペシャリスト優位で、マルチ・ポテンシャライトは中途半端な名も無き人になる運命なのではないか

 

・誰もがマルチ・ポテンシャライト性を含んでいるから、この概念が広まったら勘違い意識高い系フリーランスが蔓延するのではないか。

 

・ただの飽き性はマルチ・ポテンシャライトではないのでは。

 

<この本から私が得たもの>

 

このように、批判を用意していた私ですがこの本は意外にも面白かったです。

マルチ・ポテンシャライトが生きていくためのたくさん知恵が書かれていたからです。

 この本に書かれていることを要約するのはだるいので、自分の学びになった事柄だけを太字で記していこうと思います。(気になる方は、自分でこの本を買って読んでください笑)

 

・自分のマルチ・ポテンシャライトの特性がどう活かすことができるのかを人に説明できるようにする。

マルチ・ポテンシャライトの強みは異分野を行き来することができることです。このことで、斬新なプロジェクトを生み出すことができます。この「できる」というのは妄想であり、実現しなければ意味がないと思います。つまり、自分のこの特性をどう生かしどのように会社や事業に貢献できるのか、周囲の人や上司にプレゼンできなければいけません。そのためには、プレゼン力を身につけようと心の底から思いました。

 

 

・興味あることに時間を決めて、徹底的に向き合う

日常生活の中で、趣味に没頭したり別の分野の勉強に手を出すのは難しいです。

時間的にも肉体的にも精神的にも、自分の日常に追われているからです。

しかし、この40分だけと決めて自由に調べ物をしたりブレインストーミングすることで解決できます。時間を決めると、効率化できます。「新しいことを始めたいけど時間がない」というのは、日常に溺れているに過ぎないのです。これは、もったいないと思いました。

 

・たくさんのスペシャリストと話す

マルチ・ポテンシャライトが持った興味は多種多様です。だからこそ、多くの人と話が合いますスペシャリストと話すことも可能です。

これにより、広く浅い知識から広く深い知識に変容すると思います。より、多面的に分析把握できる人材になれることでしょう。

 

・選択(決断)は、思っているよりも柔軟なものであること

興味の対象が移り、時には転職など大きな決断と思われることがあるかもしれません。しかし、一度決めてしまっても一生動くことができないような選択はないのです。ある意味、気楽な選択でもよいのかなと思います。(調べることはしっかり調べた上でね。)

 

以上が、この本から私が学んだ教訓でした。

以前、私がマルチ・ポテンシャライトという言葉を知る前にスペシャリストについて記事を書きました。

 

mamizuharuka.hatenadiary.jp

世の中がスペシャリストを求めていたとしても私の気質上、合いません。

だから、「スペシャリストにならなければ!」と思って生きるのではなく

自分は異分野を彷徨ってよう!」と心に留めて置こうと思います。

前にも書きましたが、

二兎を追うものは一兎も得ず」という共通認識があるこの世でも

一億兎を追おうではありませんか!!!

 

では、また〜

 

 


 

「やればできる子なのに!」の呪いにかからなかった件

こんにちは、まみずハルカです。

みなさんは、「やればできる子なのに(どうしてやらないの)」と言われたことはありますか。親に一度くらい言われたことのある人が多いのではないでしょうか。

 

私もたまに、親にこの言葉を言われていた記憶があります。

おそらく私の能力を見込んで、「努力すればもっと上に行くだろう」という考えから来るものだと思います。親バカ」の一環かもしれません。

 

しかし、私はこの言葉を言われたのは親だけではありませんでした。

「もっとできるはずなのに」

「本気出したら良いのに」

「やらないのはもったいない」

これらは、小学校の時の先生から受験時の塾の先生など

何人もの「学生時代に関わった大人」に言われてきたものです。

もちろん、これらの大人たちは私に期待していただけなので悪意があるわけでも、

プレッシャーをかけようとしてきたわけでもありません。

しかし、私はこの言葉をかけられていつも反応に困っていました。 

 

まず、小学校の時の担任の話をします。

小学校の頃、授業中に先生は「この問題わかる人〜?」と質問します。

私は当時から中学受験用の塾(N能研)に通っていたので、

小学校の授業の内容はすでに知っているものしかありませんでした。

かといって、目立ちたいタイプでもなかったので手を挙げることはほとんどなかったのです。しかし先生が「この問題わかる人〜」と言った後、誰も反応しないと私に当てるのです。そこで、私は問題に答えるのです。つまり、正解を知っているのに手を挙げないということです。

 

先生にとっては、私を授業に対して「授業への関心意欲」のない子供と認識してしまうはずです。

当時から「小学校の授業はくだらない」と斜に構えるような小憎たらしい子供でした笑

そのため、通信簿のコメント欄に「もっと本気にやってみましょう」と書かれたり面談で言われたりしていました。

しかし、私はもちろんそれを素直に聞くような子供ではありません。

やりたくないことや非合理的なことはやりたくないタチでした。

だから、自分を変えることは結局しませんでした。

 

先生の目には「子供らしくない」生意気な子供に映ったと思います。

当時の私の考えとしては、私がその問題に答えたとして

それは私の学びにならないし面倒臭いだけと思っていました。

また、手を挙げることは先生を喜ばすため(気に入られる)だけの行動にしか思っていなかったと思いました。捻くれてますね笑

そんな考えを知る由もない先生は、私に「できる能力があるんだったらやりなさい」と言うのです。

 

他の例を挙げましょう。

高校受験の時の話です。高校の頃の先生と塾の先生は、進学実績を上げたいので私に東京大学あるいは東京工業大学(東大より理系の問題は難しい大学)を受けることを勧めるのです。プロフィールの通り、私は国立前期入試で九州大学を受けました。九大を受けることを決めたのは高校3年の秋でした。自慢ではありませんが、模試では九大に関してはA判定しか取ったことはなかったです。そのため、九大を受けることを言った途端周りにとても驚かれました。決めてもなお、引き止められた記憶があります。おそらく「もったいない」と思われていたのでしょう。

 

しかし、私は東大に入るための勉強をするのはアホらしいと思っていました。

それには、いくつか理由がありますが一つだけ紹介します。

それは、私は勉強の効率を考える人間だったからです。

たとえば化学のテストがあるとします。周りの友人たちは、100点を目指し、120%の努力をします。(周りは、進学校の勉強熱心な子ばかりでした)

しかし、私は80点を目指し50%の努力をします。結果、友人たちは90点をとり私は80点をとります。テスト勉強を経た人なら分かると思いますが、90点を100点にするのはとても難しいです。同じ10点分でも努力量は点数が上がるにつれて必要量が増えていくのです。私はいつもこの最後のツメの段階の努力を怠っていたと自覚しています。

 

私は受験勉強という詰め込み型の学びが根本的に嫌いだったので、この最後のツメをしたくなかったのです。もちろん、東大のレベルはこのツメの勝負になってきます。

私は、生意気にも「この勉強は私にとって無駄だ」と思っていました。

「ただ逃げたかっただけ」「負け犬の遠吠え」に聞こえるかもしれません。しかし、これは誰にも言わない本心でした。周りにはこの理由は決して言わず、九大を受ける理由は適当なことを言ってごまかしていました笑

 

さて、話を戻します。

「実力以下の所を選ぶなんてもったいない」という内容の事を言われることが多かったです。しかし、この言葉は全く本質的ではないのです。

自分の能力によって、自分の将来を決めるのは逆にもったいないと思います。

つまり、学力や能力が高いことは良い大学や会社に入ることを意味するのではなく

単純に選択肢が増えるというだけのことなのです。

 

それを、「自分の能力と釣り合った所に収めなければいけない」とするのは自由ではありませんね。選択の自由を手に入れるために努力をしているのに、選択の余地がないのは本末転倒な気がします。

 

リスクがあるのはわかってます。東大に入って有名商社に就職した時の生涯賃金は圧倒的な差になるのはわかっています。

しかし、私はそれよりも自由な人生の選択や経験を重視したかったのです。

はい、これを許してもらえる環境に身を置いている自分はとても恵まれていると感じています。親には感謝しています。

「やればできるのに」と言われて、「じゃあ、やろう!」と思わないタイプだったので今まで後悔なく自分で決断して来れたのかもしれません。

 

みなさんは、自分の現在の能力で生き方を決めていますか。

それとも、自由な人生の選択をしていますか。

 

 

では、また〜

 

ネット詐欺とセキュリティ問題について【全ネット利用者へ】

こんにちは、まみずハルカです。

 

個人的に「インターネットを通じた詐欺」についての話が好きなので、

今回は持論を述べたいと思います。

 

初めに、ネット上には数多の危険が潜んでいることは周知の通りです。

悪意を持ったハッカーがあの手この手を使って一般人や企業を騙そうとしています。

 

もちろん、「ハッカーは悪い」ことは疑いようもない論理です。

しかし、私はあえて「騙される方も悪い」と言いたいです。

 

誤解を招く可能性があるので、初めに例外を述べておきます。

・ネットのリテラシーがあり、セキュリティ対策をしっかりしていた人

・特別に悪意のあるネット犯罪者に目をつけられてしまった人

 

以上、2パターンに分類されネット詐欺被害に遭われた方は同情します。

セキュリティ対策を完璧にすることは不可能です。

被害に合いにくくするくらいのものです。

だから、このような人たちには私は「騙される方が悪い」とは絶対に言いません。

 

では、この部類に属さない人はどのような人を指すのでしょう。

それは、ネットというツールの利便性だけを享受し

セキュリティの脅威について無知な(知ろうともしない)人を言います。

 

事例はたくさんあります。

TwitterのDMやインスタのリプ欄やYouTubeのコメント欄にいわゆる「おいしい話」を見たことがある人は多いのではないでしょうか。

この「楽して稼ぎたい」という人間の欲をついた手口だと考えられます。

これにまんまと引っかかって騙される人は一定数います。

(騙されているのに騙されていないと感じている人もいると思う)

 

今パッと思いつきましたが、「カットモデルやりませんか〜」や「専属インスタグラマーになりませんか」から入る詐欺も多いのではないでしょうか。

そのモデルを広告塔にして、他のモデルを紹介してもらう代わりにマージンを渡す。

そして、集めたモデルを別の会社に斡旋するという業者ができそうですね。

一見、「モデルの仕事が増えて良い」と思いがちですが個人情報がどこでどう漏れているのかどこに渡っているのかわかりません。思わぬ所で、足を取られる事態になるかもしれません。(だいたい、本人の了承のない人材紹介や情報を流すのは犯罪...)

 

さて、話を戻します。

私が思うに、ネットを使いこなしていることとネットリテラシーがあることは関係ないです。

つまり、四六時中SNSに張り付いている人でも、

ネットのリスクをわきまえていない人は多いと思います。

つまり、「自分が生まれた頃からネットあるから、ネットリテラシーあるわ卍」

と言っている人でもネットのリスクを大いに持っているのです。

自撮りしている暇があるなら、サイバーセキュリティの本を一冊くらい読んだ方が良いのではと思ってしまいます笑

 

自分の顔の画像を商業目的で悪用されるくらいは軽い方だと思った方が良いでしょう。

誤って、変なウェブサイトを開いてしまい自分のあらゆる情報が流出する可能性もあります。自分でできる対策は取るに越したことないと思います。

 

リテラシー0の状態でネットというツールを使い、痛い目に遭って泣いても戻らないのです。

これは、芸能人になったのにネットで悪口を書かれたくらいで鬱になるのと同じくらい変な話だと私は思います。

本来、「芸能人になる=理不尽なことを書かれる」ということなのです。だから、芸能人になる前にそれに伴うリスクを承知しておかなければなりません

 

無知のまま、危険が多く潜む所に参入するのはとてもリスキーだなと思いました。

特に、ネットは私たちが見ているものの奥には複雑に絡まった情報やシステムや組織があります。全部知ることは不可能ですが、ある程度は危機意識を持つべきだなと感じています。

 

ネット詐欺に引っかかる人は自業自得という内容を書いてきました。

悪意のあるハッカーはカモになりやすい人を狙うと思います。

だから、みなさんは少なくとも「カモ」に見られないように振舞う必要があると思いました。(ある程度の知識を頭に入れておきましょう)

 

 

では、また〜

 

 

 

 

 

どうして人は未熟なものに魅力を感じるのか

こんにちは、まみずハルカです。

 

巷では、「イケメン苦手〜」と豪語する女子や

「前髪くるん小柄女子」好きな男子があふれています。

これは、人間の「未熟なものに対しての親近感」による趣向なのではないかなと思います。

 

多くの人間は「自分自身を未熟なもの」と感じているはずです。

(本来、人間は年をとるほど成長するものです。だから、現時点の自分を「成熟している者」と判断する人は少ないと思います。自分を完璧と思っている人は相当の猛者ですね。)

 

そして、他人を見る時はまず外見で判断します。

容姿が優れている人に対して、「中身も完璧な人」と脳が錯覚するのです。

つまり、自分とは違う世界の人と位置づけるのです。

これにより、敬遠してしまう人が増えてしまうのではないでしょうか。

私の場合、外見で拒否反応を示すことは減ったと思っています。

しかし、やはり未熟なものへの魅力は避けられないなと感じます。

 

例をご紹介しましょう。

私は、とあるアーティストが好きでした。

その情熱的でかつ魂で歌っている感じが良かったからです。

このリアルさが儚さを持ち、「ダサかっこいい」と私は思っていました。

 

しかし、時が経つにつれてそのアーティストは世間から認められるようになりました。それと、並行して本来の情熱的なものが明らかに薄れてしまいました

つまり、歌詞も歌のスタイルも悪い意味で洗練されてしまったのです。

ここで、「洗練」という言葉を使いました。

一般受けする聴きやすい音楽はすべて洗練されている部類に入ります。

メジャーデビューをすると高音質な音楽設備を使うことでしょう。

自ずと、未熟で粗い音楽は生成されなくなります

 

私のように未熟な音楽が好きという人はたくさんいます。

「インディーズバンドの方が良かった」「素人時代の方が良かった」との声をよく聴きます。ジャニーズヲタクであれば、「ジュニア時代の方が良かった」というのかもしれません。ロリコンも未熟さの魅力から来る趣向なのでしょうか。

 

いづれにしても、未熟さは真っ向から「綺麗」と言えないものの、

人に訴えかけるものがあると思います。

未熟さから「人間らしさ」を感じることができ、共感できる部分が多いのです。

綺麗なだけのものは「崇拝すること」しかできません。

(完全降伏ですね)

それは、神と信者のように「対等な関係とは言えない関係」になるのです。

対象が未熟なものであることは、「自分と対等」と捉えることができ

その対象の中に自分を見て、他人とは思えなくなるのではないでしょうか。

 

私の好きなアーティストや女優さんあるいは芸人さんは、

いづれ完璧な人はほとんどいません

しかし私にとって、とても魅力的に映るのです。

 

みなさんの好きなものは、「崇拝型のもの」ですか。

それとも、「未熟なもの」ですか。

 

 

では、また〜