まみずハルカブログ

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転学、中退を考えている理系大学生に告ぐ

f:id:mamizuharuka:20210205202144j:plainこんにちは、まみずハルカです。今回はタイトルにもあるように転学や中退を考えている理系大学生に向けて思うことを書こうと思います。はじめに言っておきますが、私は転学も中退もしていません。

 

 

 転学について

まず、転学について。

理系学生だと特に、専攻科目がたくさんあると思います。勉強していくにつれて、この分野は自分には合わないのではないかと考えてしまう人が一定割合いると思います。これは、自分の学科しか知らないために他の学科の方が楽しそうに思えるからだと思います。イメージ先行で学科を選んだはいいものの、原理や一見役に立たなそうに思えるものを学ぶことが必須になります。その時点で学びのモチベーションを持てる人は数学者志望の人くらいしかいない気がします。

 

しかし、大半の人はそこの科目を通過して行きます。学びのモチベーションがなかったとしても将来のため、または卒業のために通過していくのです。将来就きたい職業や学びたい研究などが明確な場合、モチベーションがなくてもこなせると思います。しかし、それらが明確ではない場合目の前の勉強をするのは苦行だと思います。闇雲に与えられた授業を受け、頭に入れなければいけないからです。

 

私も「絶対この職業につくぞ」というものがなかったので、基礎の勉強はほとんど好きではありませんでした。また、専攻の科目であっても面白いと思えるものばかりではありません。大学前にイメージしていた内容とはかけ離れているものが多いのも事実です。そして、私は「自分の将来に繋がりそうにない」「このまま惰性で勉強をするのは嫌だ」と思い転学を視野に入れ始めました。まず、この時点ではネガティブな動機です。ネガティブな動機のまま転学してしまうと、転学先でも同じように意欲がなくなってしまうリスクがとても高いと思います。避けても避けても同種の問題は発生するからです。

 

だから、転学を決定する前に転学先を吟味する必要があります。必修科目や卒業生の就職先を調べる必要があります。また、現在所属している学科がなぜ向いていないのか洗いざらい書きましょう。その書いたことが転学することによって解決するのか考えましょう。この工程を怠って突飛な考えで転学してしまうのは早計です。ここで、問題の本質が見えてくると思います。大抵の場合、転学では解決しない場合が多いです。

例として私が自分の学科に対して持っていた問題を書いていこうと思います。

 

・細かい設計が苦痛

・将来の職業が魅力的ではない

・授業がつまらない

・別のものに興味がある

・勉強しても理解できない

 

ざっくりとこの5点かなと思います。

一つづつ見ていくと転学では解決できない問題が孕んでいます。

 

「細かい設計が苦痛」。

設計に限らず、数字をプロットすることや同じ作業を繰り返すことも得意ではないと考えられます。理系学科への転学の場合、パソコンでの単純作業はついて回るので逃れることはできません。文系学科への転学では解決できるかもしれません。

 

「将来の職業が魅力的ではない」。

その業界の企業に入って、有用な機能に特化するだけのものを作るのに自分の人生をかけられないと思ってしまいました。別の人間ではなく私がその会社で働くことで、なにか有益かと考えると疑問に感じてしまいました。しかし、これは雇われる立ち場である限りこの問題を払拭することはできません。自由裁量の部分があったとしても100%自分色を出すというのは不可能です。だから、それを理由に転学するというのはちぐはぐだなと思います。(起業するなどの選択が必要。)

 

「授業がつまらない」。

これは、どこの学部でもほとんどの授業はつまらないに決まっています。なぜなら、特に理系の場合教えなければいけない内容が厳密に決まっているからです。面白いと思う授業をするためにはストーリー仕立てにしなければいけません。時間が決まっている授業の中では大枠を進めていかなければならないので、ストーリーもくそもありません。これは大学の構造上できません。

 

「別のものに興味がある」。

これがあることで、その別のものに関連する学科に転学しようと思い立ってしまいます。滅多に興味が変わらない人であれば転学すべきだと思いますが、私のように興味の変化が早い人は赤信号です。いざ転学したとしても、その先でまた別の方向に興味が出た場合同じような悩みを抱える可能性が大きいからです。現に、今の学科に入るのにもそれなりの興味があったわけで、それに対して興味が持続しなかったという試料が取れているのです。

 

おそらく、全力でその分野に向き合えていないのが原因の一つだと思います。これは誰が悪いわけでもないと思います。ただ、興味を掻き立てる機会に恵まれなかった。自分から求めに行かなかったのだと思います。自分から求めにいくのはなかなかの労力が要ります。

理系の場合、とっつきにくい内容が多く入口の時点で、やる気が喪失してしまうこともあります。堅苦しい字体の文章を読み続けるのに近いです。自分がこの努力を大学生の時点でできなかったので、人にも勧めません。が、遅かれ早かれ気が進まない勉強をこの先の未来でやっていきます。そして、別のことに興味がありそれに関連する職業に就くために転学をするのは本気かどうか自分に問わなければいけません。決して、今やっていることから逃れることを理由にしてはいけません。理由の一つにしてもいけないと思います。

 

私の場合、クリエイターになりたいという漠然と考えていました。クリエイターと言っても様々です。そして、私がなりたいクリエイター像もばらばらでした。イラストを描きたい、文章を書きたい(ブログ、小説)、映像を撮りたい(映画、動画)、音楽を作りたい、音楽を奏でたいという散漫な思いが交錯していました。こんな定まらない状態で転学するのは危険だったと思います。芸術系寄りの学科に転学しようと企んでいました。特に、私が当時やりたいと思っていたことは大学で勉強する必要のないものばかりだったと思います。(それ系の大企業に就職するつもりなら有効だと思うが、就職しなくてもこれらはできる。)

 

「勉強しても理解できない」

これは勉強量に問題ありです。といっても、全部を理解しようとすると時間は足りません。(例えば、公式の意味などを考えだすといくらでも深ぼることができてしまい、数学者の域に達してしまいます。)私が一番嫌だったのは、理解できない数式をいくつも組み合わせてできた公式があり、それをまた活用してどんどんつなげていくプロセスです。理屈(数値上の整合性)はわかりますが、何をやっているかの説明が授業やテキストやネットの検索エンジンでさえ抜け落ちているのです。

理屈で進めているはずなのに、「そういうものだから」という人間的な思い込みを持って進む必要性があることの矛盾がありました。この矛盾の繰り返しで、勉強ではなく機会的作業と化します。本質的な理解をしないまま進んでいました。勉強量を増やせば、それなりの理解ができるようになるかもしれません。あくまで私の体感ですが、1日1専門科目に対して最低1時間は要すと思います。プラスで、復習の役割での試験勉強といったところでしょうか。1日平均3時間専門科目のみに費やすことできれば、ある程度の理解はできると思います。(私はできなかった!)割と勤勉な理系学生でも、脳死の勉強(意味を理せずに暗記する勉強)をしているかと思います。その比率の大小の違いだと感じます。

 

中退について

 

実際に中退しているわけではないので、これに伴うリスクの話をする気はありません。(リスクについては理系の大学中退者経験談を参考にしてください。)

しかし、「中退」という言葉は多少頭によぎっていました。なので、それを実行させないようにする考え方を紹介します。

ずばり、「親のため」に大学を卒業すること。

大学入学までの教育費を考えると、大学を卒業せざるを得ないのです。(小学校からの塾費用、私学中高の費用、大学費用etc..)

「自分のため」という目的を変に掲げてしまうと、「やりたくない」「やる必要がない」ことが正義になってしまいます。だから、自由な選択ができてしまいます。

しかし、「親のため」と割り切るとそこで自分の思考が遮断されます。正常な思考ではない自覚はありましたが、現状の行動改革に有効なものでした。ので、昔の私みたいな人にはオススメしときます。

 

 

大学入学時に知りたかったこと

 

理系大学生に関しては、その道に進むための専門科目の授業の割合が極めて多いです。(学科によるかもしれません。)

その中で、基礎科目として文系の選択科目が多少あります。この選択科目がのちの資格取得に役立つ可能性を秘めています。私は現在、資格の勉強をしていますが、資格登録の際に、大学で必要科目を取得するのが必須となっているケースが少なからずあります。この必要科目なしで登録するためには、ユーキャンなどで資格取得などの講座を受講する必要があり、お金と時間の無駄になります。(独学をすると必要なのは登録だけなので、講座は意味がない。)そのため、資格を生かした仕事をする可能性がある場合は、該当の資格について調べそれに必要な科目を受講するといいです。大学の受講科目を増やすのは、おそらく制限がないので必要そうな科目は保険として履修するのもありかと思います。(「〜学概論」など履修しやすいため負担にならない)

 

以上、理系出身者の文系社会人のひとりごとでした。

では、また〜