まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

大学2年の時、古着屋を開業しようとした話(してない)

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こんにちは、まみずハルカです。

私は、大学2年の時古着屋を開業をしようとしていました。

現実には、開業に至ってはいませんが店舗を契約する所まで準備をしていました。

今回はそのことについて、書いていこうと思います。↓

 

きっかけになったのは、帽子屋でアルバイトをしていた時のこと。そこは、小さい帽子屋で九州地区で5店舗ほどある有限会社だった。大きい会社ではなかったため、アルバイトの分際でも会社の内情がわかることが多かった。韓国や中国から買い付けた帽子を含め小物を純利益50%ほどで売っていた。そこで私は1年ほど働いていたのだが、これが自分の店だったらどうするのかということをよく考えた。というのも、暇な時間が膨大だったからだ。売り場レイアウト、広告の繁栄、アルバイトのマニュアルの徹底など改善できる点がたくさんあるように思ったからだ。しかし、アルバイトの身でお店の繁栄に貢献するモチベーションは湧かなかった。そして、私ならこの会社よりも良い店舗経営ができるに違いないと思っていた。若気の至りなのか、根拠のない自信なのかは今でも分からない。

 

思い立った時期は大学2年の夏だった。12月にはオープンさせて、大学4年になる直前までやってみようと思ったのだ。たとえ利益が0で損失が100万になったとしても、価値ある経験になると思っていた。そして、当時はまっていた古着に目をつけた。古着は大好きで、暇さえあれば古着屋で物色し購入をしていた。古着の選定は目利きの世界なのだが、ここでもまた謎の自信がついていたのだ。自分で選んだ個性的な古着を着ると、人から褒められることが多かったからだ。自分のセレクトで自分の気に入ったデザインの古着だけが店内を埋めつくすような古着が作れたらどんなに気持ち良いかと思った。

 

古着を始めるにあたり、まずやったことは仕入れ先の選定・設備費と運営費の計算・店舗の選定だった。(古物商の申請は簡単にできるため、後回しにした。)

仕入れ先の選定は、ネットで古着の卸売をしている所が目に止まった。服の系統ごとにキロ単位で仕入れることができる。その中から、売れそうなものをピックアップして店頭に並べるという手法だ。ただその場合、破棄する服の量が運任せになるためコスパが悪い。だから、実際に卸売りの倉庫を見に行って一品一品選んで買い付けようと思った。このように、仕入れ先の検討がついた。

 

設備費と運営費の計算は、皮肉にもバイト中にしていた。ハンガー・ハンガーラック・マネキンなどのディスプレイ什器やタグ・袋・光熱費など運営費を割り出した。ディスプレイなどはやろうと思えばいくらでも凝れる。しかし、凝りだしたらキリがないのである程度まで決めた。そして、運営していく中で改良していこうと思った。

次に、店舗の選定だ。インターネットで目星をつけ、実際にいくつかの不動産に足を運んだ。実際に店舗も見た。人通りや平米数や賃料など、考えることはたくさんあった。そして、満足のいく店舗に遭遇したのだ。古い建物だが、1階でガラス張りの「THE個人のブティック店」が入りそうなテナントだった。建物は老朽化しているため、自由に塗装してもOKとのことだった。看板も立てる所もあり申し分なっかた。詳しくは書かないが、私にとって好条件の物件だと思った。実際に、仮契約をして初期費用を振り込んだ。

 

しかし、そこで重大な問題が発生した。不動産から電話がかかってきた。テナントの設備を点検した所、トイレのパイプが破損し使えないとのこと。建物は老朽化しているため、直すことができないらしい。店舗にトイレがないのは致命的であるため、即座に断りをいれた。これは、「運の尽きの兆候」「タイミング違い」だなと思い古着屋開業自体を諦めた。その時には、時間も経過していたためそこから店舗探しはしてられないと思ったからだ。ここで、無理やり開業にこだわる必要はないと悟った。トイレのパイプが破損したのは虫の知らせだったかもしれない。幸先の悪い船に頑固に乗り込んで、死ぬのはアホだ。

 

こうして、学生時代の古着屋開業はやめた。(実際に、店を始めた直後にトイレのパイプが破損していたら大変だったろうなと思う。)

 

実際に開業はしなかったが、古着屋をオープンするプロセスは学べてよかったなと思った。何十年か経って、再びブティックを始めたくなるかもしれない。その時に、この気持ちはとっておこうと思う。

 

働き方は数多の種類がある。

私は、大学を卒業して一般企業に就職する。

自分がいる意味を考えると、その中で何かしら自分の色を出していかなければならないと思う。他人と代替可能な業務がほとんどを占めると思われるが、いかに自分の考えや発想を還元できるかが勝負になってくる。一回は自分だけで全てを決断して実行するような機会が欲しいと思ってしまうのは傲慢な考えだろうか。しかしそれは、雇われる身からすると非現実的であるためこのブログで好き放題書くことが会社で働く私を支えることになるのかもしれない。

 

では、また〜