まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

2019アウトプットまとめ②

 

 

隠れオタクの多さ

 

本当はオタクなのに、恥ずかしいから周りに隠してる人をよく見つけます。

普段はオタクの気を一切見せないのですが、ふとした瞬間にオタクの片鱗が見えるのです。

このように、隠れオタクが増殖していると思います。

 

オタクを隠す理由として、イメージの悪さが挙げられると思います。

「オタク」「腐女子」という言葉は、確かに清潔感ないですよね。

腐女子なのがバレたら引かれるかもと思ったり、

オタクではない人が遠ざかってしまうのではないかという不安があるのでしょうか。

 

オタクというのは自分の趣味に没頭する人のことを指します。

そのため、自分の世界に入って周りが見えなくなる人が多いはずです。

あくまで、多いだけでこのプロトタイプに当てはまらない人もたくさんいると思います。

そして、このあてはまらない人が

自分は周りの見えないコミュ障と思われたくない!」という考えから、自分がオタクであることを隠すのです。

 

私は、何人か隠れオタクを見てきましたがオタクに見えない人が多かったです。

隠れオタクの方は自分のキャラをわきまえて、空気を読んでいるのかもしれませんね。

 

または、嫌いなオタクがいてその人の仲間になりたくないから隠しているのかもしれません。

自分の興味のある話題だけについて、マシンガントークをするようなオタクと距離を置きたくなるのも分からなくはないです。

 

このような隠れオタクの人たちが全員カミングアウトしたらオタクは多数派になると私は思っています。

一つの趣味に没頭している時点で、ある意味オタクなのかもしれません。

しかし、やはりオタク=アニメ・漫画という印象がありますね。

とは言っても、一つや二つくらい特定のアニメや漫画に熱狂したことのある人は多いのではないでしょうか。

だから、自分がオタクではないと思っていても案外オタクだったりするのです。

 

そして、自分の隠したい趣味をも人に共有するとオタク同士が固い絆で結ばれるのではないでしょうか。

(オタクの種類も無数にありますがカテゴリが同じだったり、名前は聞いたことがあるなどと話が盛り上がると思います。)

 

私は漫画やアニメを見ないので、圧倒的に少数派になる気がします。

私がオタクを羨ましく思うときは、外国人と話す時です。 

 

日本に興味のある外国人は、アニメや漫画が好きな方が極めて多いです。

(NARUTO、ブリーチが好きという人が特に多い気がします。)

 

アニメや漫画の話で外国人と仲良くなれる(盛り上がれる)って凄くないですか。

アニメや漫画が共通言語と化していることだからです。

 

私もオタクになれれば良かったと切実に思っています。

(オタクは不滅。)

 

私は1つのことを追求するより、沢山のことを浅くやる性格なので本質的にオタクにはなれないです。残念。

 

大人のアレルギーについて

 

近年、大人になってからアレルギーを発症する人が増えているようです。

原因は、同じ食材を食べ続けること過度なストレス

そして、アレルギーが発症するのも人それぞれらしいです。

 

どうして、アレルギーについて調べるようになったかというと

私も超軽度のアレルギーになっているのではないかと疑っているからです。

 

私の場合、あからさまに赤い斑点ができたり特定の食べ物への拒否反応があったりするわけではありません。

多少の肌荒れ」と「多少の皮膚の痒み」程度です。

アレルギー検査を受けたわけではないので、はっきりとした原因はわかりません。

アレルギー検査とはアレルギーの有無を測るものです。

アレルギー反応値が高いとアレルギーといえます。

また、アレルギーと判断できる値まで達していなかったとしても

自分がアレルギーになりやすい食品をすることができます。

私は、まだその測定をやってません。

(切羽詰まってないからです)

 

しかし、自分の中で小麦に弱いのではないかと踏んでいます。

弱くなる原因は、小麦の食べすぎです。

アレルギーの厄介なところは、料理が違っても同じ食品を摂取しすぎる

アレルギー反応を起こしてしまう可能性があることです。

小麦であれば、麺類・パン・お菓子に含まれています。

つまり、朝食がサンドウィッチ・昼食がうどん・夕食がパスタ・間食にお菓子

という食事をしてしまうと一日中小麦を摂取することになってしまいます。

すると、小麦過多になってしまいます。

 

どうして小麦アレルギーになる日本人が多いのか謎です。

日本の主食は米ですが、食生活は欧米化してきました。

つまり、小麦食は日本人にとって重要なものになったといえます。

だから、多量の小麦を摂取することでアレルギーになるということなのでしょうか。

小麦を主食にしている欧米の方は、小麦アレルギーになりにくいのでしょうか。

日本のアレルギー項目に米がないのも不思議ですね。

 

話を戻します。

私は、健康食を日々心掛けています。

しかし、

同じような料理を作ってしまうこと小麦を使った食事が多かったことはやってしまいがちでした。

野菜をたくさん摂っていても、野菜ごとに偏りが生じてしまいます。

(大根はあまり食べないなど)

また、パンや麺は手軽に食事を摂ることができます。一人暮らしの私としては頼ってしまいがちでした。

そして、私の中で小麦粉はいくら食べても大丈夫なものと認識していました。しかし、どんな食品でも食べ過ぎはよくないですね。量の問題ではなく、摂取のスパンの問題です。

 

ということで、私はしばらくの間グルテンフリーの食事にしてみようかなと思います。

正直、小麦を徹底的に禁止する必要は私はないと思います。

「小麦食は一日一回までにする」くらいでよいと思います。

しかし、もともとグルテンフリーの生活に興味があったので実践しようと思います。

グルテンを控えるだけで体調がよくなるという話を聞いたことがあったからです。

実際に試してみないと、効果がわからないのでグルテンフリーをやろうと決めました。

 

床に落ちた物を食べる人について

 

私は、昔から親に床(外)に落ちたものは汚いから絶対拾って食べたらダメ!と教育されてきたのでどんなことがあっても拾って食べることはありませんでした。

 

しかし小さい頃、友達が「3秒ルール」の名の下でセーフだと言って、息を吹きかけてから食べていました。それに対して、引いた覚えがあります笑

 

地面というのは、見るからに土があって汚れている所もあれば

掃除がなされていて綺麗に見える所がありますね。

 

しかし、綺麗に見えるところでも大きいゴミ(埃など)は落ちていなくても結局、菌はいるのです大人は菌の汚さ・怖さを知っていますが、小さい子はよく理解していません。

 

 だから、目で見たそのままの様子(埃がついていない様子)を

信じて、食べてしまうのかもしれません。

 

私が目撃したその子は、特にお腹が痛くなることもなく弊害は起こらなかったようです。

 

 

もう一つ、似た例を挙げましょう。

 

積もった雪を食べる人についてです。雪は空気中の塵や埃を吸着して落ちてきます。

そのため綺麗な真っ白さに反して、汚いです。

(山奥の雪ならまだしも、都会の雪は汚い...)

 

小学校の頃、ある友人は降り積もった雪を丸めて口に入れていました。

「積もったばかりだから綺麗」だと言っていました。

(冷たくて、美味しいそうです...)

 

なんと、その子は次の日に学校を欠席したのです。

 

雪を食べたのが理由か分かりませんが、当時の私はこの関係性をクロと見ていました。

(今でもこの出来事を覚えているくらいなので相当、心に刻まれたのだと思います)

 

小さい子供は、知識が少ない分、知らず知らずのうちに危険にさらされていますね。

(親が予想もしないことをやっている事も多いのかもしれません)

 

みなさんは小さい頃、親に「床に落ちたものは絶対食べてはいけない」と

教えられてきましたか。

「三つ子の魂百まで」なので、私は床に落ちたものを食べるのは拒否感があります。

 

( 床に落ちたものではないが、学校の帰り道花の蜜は吸ったな...)

 

ノンフィクションが好きすぎる

 

今まで数多くの動画や映画やテレビを見てきました。

私は”生粋のテレビっ子”から”ユーチューブ中毒者”になり、

さらには”アマゾンビデオヘビー視聴者”に転身していきました。

このように、沢山の映像を見てきた結果、ンフィクションに行き着きました

 

それこそ

"ザ・ノンフィクション"というテレビ番組は凄い好きなんですよね。

自分とは全く違う人生を生きている人を見ると、その人自身を追体験している感覚になれます。

自分はできないことを当たり前のようにしているのです。

興味が湧いて当然ですよね。

 

ほかには、リアルな反応もノンフィクションと言えるでしょう。

M-1グランプリで見せる芸人の反応は私の大好物です。

決勝に初めて上がって喜び泣き崩れている姿は感動します。

本編のネタより好きだったりします。その部分だけ何回も見直します笑

(特に、2017年のキングオブコントのGAGの姿が好きです...)

 

また、Amazonオリジナルビデオは過激な番組が多く芸人のリアルな表情を見ることができます。

(たまに不快な映像がありますか面白い映像も沢山あるのでほぼほぼ見ました笑)

"有吉のぬるま湯大作戦"の「次何来るんだよー」と不安げな表情

"ドキュメンタル"の赤い封筒を開けた時の

「来たかー!」と嬉しさと戸惑いが混在した表情。

確実に、本編より面白いと思います。

 

芸人だけでなく、リアルに恋をしていく人を見るのも楽しいです。

AbemaTVの恋愛リアリティショーやAmazonの"バチェラー"などです。

 上手く行動できなくて泣いる人。

気持ちが相手に伝わってはしゃいでいる様子。

テレビで本当の感情を出すのはとてもレア感があると思います。

(私には、できないなと思ってしまいます。)

 

また、最近では海外の刑務所体験をする番組にはまっています。

一般人が一時的に刑務所へ行くというものですが、海外の刑務所の劣悪さがわかります。

日本は何でも清潔で安全な場所が多いですが、外国は果てしないものがありますよね。

海外の番組は日本のものより、粗いため面白いです。下品な言葉を使っていますが、それもまたリアルなのです。自分ができないからこそ、惹かれるものがあるのだと思います。

 

 

このように、人のリアルさが私の中で一番面白いなと思っています。

精巧な演技など感動することはありますが、

やはり心に響くのはリアルな人の感情や人生なのかなと思います。

 

違法タクシーを目撃した話

 

先日、違法タクシーを目撃したのでそれについて書きたいと思います。

あくまで、目撃しただけで被害を受けてはいません。 ご安心を。

 

地図を広げて、立ち止まっている旅行者がいました。すると、一台の乗用車が目の前に止まりました。窓を開けて、声をかけました。

どこに行くと?

見た目は地元のおじさんという感じでした。道に迷った旅行者に向けて親切心で声をかけているように見えました。(私は近くで見ていました。)

旅行者が行き先を伝えると、そのドライバーはその場所まで送ってくれると言いました。

しかし、その旅行者は見ず知らずの人の車に乗るを躊躇しているようでした。

そして、運転手は旅行者を説得し始めます

さらには、「目的地よりもオススメの場所があるから車で巡ってあげる」と言い出しました。

説得を続けて数分後、

「料金はいらないけど、ガソリン代は払ってね。ガソリン代だけでいいから。料金取っちゃったら、違法になるからね。」と笑顔で言っていました。

結局、旅行者はやんわりと断りその車には乗りませんでした。

 

 

ここで、最大の違和感は「ガソリン代を払う」ということだと思います。

ガソリン代を払う=タクシー業務と言っていいでしょう。ガソリン代と料金に差があるとは思えません。

なんなら、そのおじさんがガソリンの計算(走行距離÷1Lあたりのガソリン代)を綿密にするとは思えませんでした。乗ってしまった後に、高い金額を提示される可能性もあります。

 

私は、あるテレビ番組で違法タクシーを逮捕するというものを見たことがあります。

そこに出ている人は、夜中に酔っ払ったサラリーマンをターゲットに営業をするという手口だったと思います。

警察の目を盗むために夜の時間を選ぶという軽い知能犯とも言えますね。

しかし私が目撃したのは昼間であり、かつ運転手は地元の気さくなおじさんという雰囲気でした。

これにより、私の違法タクシーへのイメージが覆されました

違法タクシーは悪そうな人がやっていて引っかかる人はいないだろうと思っていました。しかし、昼間の気さくなおじさんであれば、危機管理の弱い人は利用するかもしれません。

 

また、違法タクシーのおじさんも「ガソリン代だけだったら違法にならない」と本気で信じているようでした。

知らず知らずのうちに、法に触れることもあるのだなとも思いました。怖いですね。

(私が警察に通報したら、一発だよな。)

 

街の世話好きのおじさんが、世話を焼いたために逮捕されるケースがあってもおかしくない気がします。「ガソリン代だけ」という小さな欲が大きな罪に問われる可能性があありますね。

 

ここまで、「違法タクシーに乗らないように!」

というより「違法タクシーにならないように!」 と忠告している気がしてならないです。笑

 

共感覚は暗記だけ!

 

私は基本的にカラフルな色が大好きで

洋服や持ち物などでもビビッドなカラーを取り入れることが多いです。

私物はカラフルな色を入れることが多いですが、文字は黒を使うことがほとんどです。

高校の頃のノートを見返すと、殴り書きのシャーペンの文字しかないくらいです。

 

という話はおいといて、今日は文字の持つイメージ色について考察していきます。

 

最初に言っておきますが、私は残念ながら共感覚の持ち主ではないです。

(共感覚の人は暗記が得意なようで羨ましいですね)

 

しかし、共感覚を持っていない私でも

文字に色を当てはめるならこの色!」と思うことがよくあります。

 

例えば、まみずハルカだと

まみずハルカ

と文字を当てはめることができます。

 

まみずは水の色

ハルカは春の色が合っています。

 

1文字ずつ分けるのは難しいですがやってみます↓

 

全然違う色になりました笑

前者の方が見やすいですね。

 

文字ごとにバラバラの色だと意味が理解しにくいと思います。

だから、単語ごとに色で分けられる共感覚にはなってみたいなと思います。

 

ここまで書いてきて

一回全部色を使って文章を書きたくなってきました笑

ちょっとやって見ます

 

 

いからからられないよ〜」

「そうだね、くなったよね」

はもうだね」

なんてにしてるじゃないよね」

 

色の種類に限界があったので、こんな感じになりました。

(ひらがなは諦めました...)

 

このようにブログを書いていたら情報量が多くて読みにくいですね。

内容よりも色の情報が先行して、読む気が失せるはずです笑

一方、共感覚の方は(リアルでは出会ったことがない)「暗記に便利!」と考えているそうです。

 

情報のベクトルが一つ増えることで覚えやすくなるのは確かだと思います。

(感覚が一つ増えることになるのは、一種の能力だよね)

 

しかし、全てを色付きの文字にすると疲れてしまうと思います。

 

ということでこれからも基本的には黒字で書きますよ。

 

車酔いの原因は揺れではない?

 

 突然ですが、私は車に酔いやすい人種です。

 酔い止めを飲むほどではないですが、昔から車に乗るたびに酔っていました。

 

おそらく原因は車の匂いだと思います。

 車の揺れによって車酔いを起こすことが一般的なようですが

私の酔いの原因ではないと思います。

 

なぜなら、他の揺れる乗り物(電車、バス、飛行機)では平気だからです。

 

車は空間が狭い分、空気がこもりやすいですね。

 まさに車の中に入った瞬間、酸素濃度を気にしてしまいます笑

 

窓を開けっ放しにして新鮮な空気を取り入れると車酔いは冷めます。

 

逆に車が止まっている時に前のトラックからの排気ガスの匂いが漂ってくると

吐きそうになります。困った話です。

 

よく考えるとこれは車酔いではないのかもしれませんね。

 私が、ただただ匂いに敏感な人なのかもしれません。

臭い匂いで体調が悪くなる体質なのかもしれません。

 

特に、ガソリンの匂いが苦手です。

親がガソリンスタンドで止まってガソリンを入れる時、いつも車から離れていました。

 

ガソリンの匂い=吸ってはいけないものと脳が察知していたのでしょう。

少しでも吸ったら吐きそうになるのです。

 

一方で昔、ガソリンの匂いと油性ペンの匂いが好きな友人がいました。

 その子は幼少の時からこれらの匂いが好きだったそうです。

しかし、健康に悪そうということで積極的に嗅ぐことは止めたらしいです。

 

いろんな人がいますね

どういう経緯でガソリンの匂いが好きになるのか気になります。

良い記憶と結びついているのでしょうか。

 

とにかくこれからもガソリンの匂いを好きになることはなさそうだし

耐性をつけるのも難しそうなので

排気ガスの出ないハイブリットカーがもっと普及するのを願うばかりです!

(電気で走ったり、水を出すだけだったり!)

 

大人数が嫌いな原因は?

 

私は大人数で宴会、ワーク、遊ぶというのがあまり好きではないです。

この理由を今までは、「コミュ障乙ww」と思っていたのですが

どうやら違うみたいなのです!

 

少人数だとたくさん話せるし、楽しいと感じるため

ひとまとめに「コミュ力がない」と結論付けるのは違うなと考えました。

(少人数なら初めてあった人でも、ワイワイと話すことができます)

 

ズバリ

大人数が嫌いな理由は...我が強いだから!

 

 

2〜3人だと、頑張れば自分の思うようにコントロールすることができます。

 

一人当たりの裁量が大きい分、自分の意見を反映させやすくなるからです。

(全部自分の意見を押し通すのは嫌われるから、しないけどね)

 

しかし、大人数だとそうはいきません。

互いに意見を出し合って、全員が妥協しなければなりません。

 

そして、ある人が私と違う意見を言ったとするとそれに乗っかる人が想像以上にたくさんいるのです。(女子に多い「だよねー☆」「わかる☆」「それな☆」etc.)

 

そのため、平和を愛す?私は反論せず、その意見は不可抗力なものになってしまうのです。

(反論するのはエネルギーを使うので、ささいなことで反論したくない)

 

これにより小さなもやもやが蓄積され結果的に、「大人数嫌い」となってしまうのです。

 

この理由を「我が強い」と書きましたが語弊があるかもしれません正しく言うと「心の中の我が強い」だと思います。

 

本当に我の強い人は、どこにいても自分の意見を通そうと頑張りますよね。

 

私の場合、「大人数の時、諦めなければいけない→不本意、不満」と感じているのです。

 

大人数で集まる時に人がわちゃわちゃしていて嫌だ!という人もいると思いますが

私のようなタイプもいるのではないかなと感じました〜

 

AIが人類を滅亡させる仮説について

 

世界で最初に地動説を唱えたニコラウス・コペルニクスを尊敬してこれから世界がどうなっていくか仮説を展開しようと思います!

 

AIが世界を征服して人類を滅亡させる!のは近い話だと思います。

 

なぜなら、AIの頭脳は人間より桁違いに賢いためAIはより便利に、より合理的に物事を進めようと考え、動くはずです。

 

つまり、全く合理的ではなくアホな人間はいなくなった方が

物事を合理的に進めることができるとAIが考えるのは、当然のことだと思います。

 

AIはディープランニングという自分で学習するシステムであるため、

もはや人間が外的に操作しなくても勝手に高スピードで考える超生物?なのです!

 

この先、多くの場所でAIを使ったロボットAIを併したIoTのシステムが普及していくでしょう。AIが考え、人間が快適になるように機械やシステムが動作するようになるでしょう。

 

しかしそこでは、確実に問題が起こります。

AIロボットは「やれと言ったことをやる機械」ではないので正直何をしで出すかわかりません。

(人間が予期しないこともやるかもしれない)

 

普通の人がAIロボットを使用する場合は大丈夫だとしてもヤヴァイ人間(サイコパス)が変な教育をAIにしてしまうと収拾のつかないことになりかねません。

 

また、AI自体が人間を滅ぼそうと思わなかったとしても

機械は誤作動が生じるものでそれこそ、医療の現場で自動医師みたいなロボットが

ミスすると生死にかかってきますね。

(セキュリティが破壊すると人為的ミスになる...)

 

このように、AIが人間を滅ぼすという都市伝説じみたことは起きるなと思います。

 

しかし、未来の危機より目先の便利さですね。

(私もそうです。それはしょうがない。)

 

将来、北極の氷がとけて白熊が減っちゃうからエコにしよう!とか思いませんもんね。

(実感がないから)

それで良いと思います。

 

人間が滅びるということは生物の歴史を考えるとごく当たり前のことです。

ほとんどの生物は数千万年で絶滅するでしょう。人間も例外ではないと思います。

 

人間は生物である限り、いつかは絶滅してしまいます。(これはしょうがない)

 

今を、楽しく生きれば良いのです。私が生きている間にAIが恐ろしい事態を招かないことを祈るばかりです。(どこの宗教の教祖だよ笑)

 

壇蜜の本=ホリエモンのポエム

 

「人となり」をある程度知っている有名人が本を出版することが多いですよね。

 

この前は、壇蜜の本を見ました。本の帯を読んだくらいですが壇蜜らしいミステリアスな文章が書かれていました。

 

冷静に考えると私にはあまり響かない言葉でしたが壇蜜がこの言葉を書いたというバックグラウンドを頭に置くとつい読みたくなります。

 

芸能人ではない作家が本を出版する場合、その人のバックグラウンドなしで勝負しなければなりません。知名度のあるなしの話ではなく、

こんなをした人

こんな雰囲気のもった人

こんな立ち回りをする人

というのはテレビを見たら、ある程度想像することができますね。

 このようなバックグラウンドがないということです。

 

これが良いのか悪いのかはわかりません。

 

悪い方向に転ぶといくら文章が上手い芸能人でもその人自体を嫌いになると全く文章が頭に入ってこなくなるでしょう。

(批判しようという心持ちで読んでしまう)

 

壇蜜の場合は良い方向に転んでいると思います。あの文章を一般人が書いたとした。

見向きをされるか疑問です。

(壇蜜が書いたあの本は素晴らしいのです)

 

だから、私が書いているこのブログやもう一つのポエムブログも私のバックグラウンドや素性をいかに文章で表すかが試されるなと考えました。

(有名人は文章以外の情報も与えられる)

 

不毛なことを言うようですが、ホリエモンがあのようなポエムを書いたとしたら多くの人が深読みしてくれるのではないかと思います笑

 

人となりがわからないという情報不足の状態でいかに人に伝わる文章を書くのかをまた試行錯誤していきたいです。

 

「誰が書いたか」よりも「何を書いたか」の方が大事な気がしますが。

「誰が書いたか」というのも人に多大な影響を与えているなと思いました。

 


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