まみずハルカブログ

私の日常もあなたの非日常。とにかく雑多に書いてます。

2019アウトプットまとめ①

しばらくの間、下書きに保存していた文章ですが削除するのもあれなのでまとめて一つの記事にしました!是非、読んで見てください。

 

 

人を見て回答を変えるという技法

 

マルチポテンシャライトの本の中に「マルチ・ポテンシャライトは職業を聞かれた時、

人に応じて答えてを変えても良い」という趣旨のことが書かれていました。

 

これを読んだ時、はっとしました

なぜなら、人によって回答を使い分けるという技は私はよく使うからです。

つまり、聞き手の性質によって自分の回答を変化させるのです。

残念ながら、最近はめっきり「将来の夢」を聞かれることが減りました。

 

しかし、自分の好みのものについてはよく聞かれますよね。

自分が何が好きなのか、または嫌いなのか固定できるものではありません。

好みが変動的であるからこそ、質問者によって回答を自由自在に操れることができるのです。

 

例えば、「好きなアーティストは誰?」と聞かれたとしましょう。

この問いに対し、基本的に私は「ポルノグラフィティ」と答えます。

これを言うことで、「私も〜!」とか「サウダージ好き!」と会話が弾むことが多いからです。ポルノグラフィティはテレビに出るようなメジャーなアーティストです。

そのため、「知らない」という人は極端に少ないためその後の話に続きやすいのです。

 

一方、仮に相手が「モーニング娘。好き!」と言ったとしましょう。

私は迷いなく、「私も!!」と答えるはずです。

「モー娘。」は私の一番好きなアーティストというわけではないものの「好き」ということは間違いないからです。

 

また、相手がバンド好きと分かれば、「女王蜂」と言うこともあります。

バンドに詳しくない人で「女王蜂」を知らない人は多くいます。すると、これを相手を選ばず答えることで「知らない」と言われるリスクが上がるのです。

 

このように、好きなアーティスト一つ取っても

自分自身の回答を様々なものに変えます

 

ではどうして、「自身の回答を変える」 という行動をするのでしょうか。

理由の一つに、「相手に共感が得たい」「趣味が違うと思われたいくない」という心理が働いているからだと思います。

相手とは全く違う趣味を答えることで、「相手のことに反発している感」がうっすら出てしまいます。

そうすると、その後の会話がお互いに「趣味の違う人」と位置づけて話すことになります。これは、できれば避けたいですね。

 

私は、趣味がころころ変わるタイプなのでどんな人とでも会話を合わすことができると思ってます。たとえ、自分が知らない分野の話をされたとしても興味を持つようにしています。(自分の気になるところを突っ込んで質問すれば自ずと面白くなる。)

 

自分の代名詞となる「好きな唯一なもの」がないのは悲しいです。これが、あると自己顕示しやすいからです。「自分はこれだ!」というものがあれば、「自分は何者だ?」と悩むこともないですからね。しかし、広く浅く様々な分野に飛び込むことは自分の気質なので認めるしかありません。「多様性」を持つことが個性というなんだか矛盾しているような人間だなと感じました。

 

みなさんは誰に対しても唯一の回答を決めていますか。

気になります。

 

どうして人は未熟なものに魅力を感じるのか

 

巷では、「イケメン苦手〜」と豪語する女子や

「前髪くるん小柄女子」好きな男子があふれています。

これは、人間の「未熟なものに対しての親近感」による趣向なのではないかなと思います。

 

多くの人間は「自分自身を未熟なもの」と感じているはずです。

(本来、人間は年をとるほど成長するものです。だから、現時点の自分を「成熟している者」と判断する人は少ないと思います。自分を完璧と思っている人は相当の猛者ですね。)

 

そして、他人を見る時はまず外見で判断します。

容姿が優れている人に対して、「中身も完璧な人」と脳が錯覚するのです。

つまり、自分とは違う世界の人と位置づけるのです。

これにより、敬遠してしまう人が増えてしまうのではないでしょうか。

私の場合、外見で拒否反応を示すことは減ったと思っています。

しかし、やはり未熟なものへの魅力は避けられないなと感じます。

 

例をご紹介しましょう。

私は、とあるアーティストが好きでした。

その情熱的でかつ魂で歌っている感じが良かったからです。

このリアルさが儚さを持ち、「ダサかっこいい」と私は思っていました。

 

しかし、時が経つにつれてそのアーティストは世間から認められるようになりました。それと、並行して本来の情熱的なものが明らかに薄れてしまいました

つまり、歌詞も歌のスタイルも悪い意味で洗練されてしまったのです。

ここで、「洗練」という言葉を使いました。

一般受けする聴きやすい音楽はすべて洗練されている部類に入ります。

メジャーデビューをすると高音質な音楽設備を使うことでしょう。

自ずと、未熟で粗い音楽は生成されなくなります

 

私のように未熟な音楽が好きという人はたくさんいます。

「インディーズバンドの方が良かった」「素人時代の方が良かった」との声をよく聴きます。ジャニーズヲタクであれば、「ジュニア時代の方が良かった」というのかもしれません。ロリコンも未熟さの魅力から来る趣向なのでしょうか。

 

いづれにしても、未熟さは真っ向から「綺麗」と言えないものの、

人に訴えかけるものがあると思います。

未熟さから「人間らしさ」を感じることができ、共感できる部分が多いのです。

綺麗なだけのものは「崇拝すること」しかできません。

(完全降伏ですね)

それは、神と信者のように「対等な関係とは言えない関係」になるのです。

対象が未熟なものであることは、「自分と対等」と捉えることができ

その対象の中に自分を見て、他人とは思えなくなるのではないでしょうか。

 

私の好きなアーティストや女優さんあるいは芸人さんは、

いづれも完璧な人はほとんどいません

しかし私にとって、とても魅力的に映るのです。

 

みなさんの好きなものは、「崇拝型のもの」ですか。

それとも、「未熟なもの」ですか。

 

大人と子供の「退屈」について考える

 

大人になると、時間の流れる速さが早く感じます。

この理由は、子供時代に比べて新しい出来事が減ってくるからだそうです。

私も例外ではなく、時間の経つ速さに恐怖を感じています。

 

私なりに新しい物事を意識的に取り入れて生きているつもりですが、

小学生の頃のように時間の長さを感じることができません。

新しい機会に身を置いている時でさえ、その時間はあっという間に過ぎてしまうのです。

 

この原因は、「退屈さ」を感じる時間が減ったからなのではないかと考えました。

 

では、「退屈さ」を感じるためには何をしたらよいのでしょうか。

ずばり、「何もしない」「でも、寝ない」ことだと思います。

 

子供時代を考えると、ぼーっとしていた時間が長かったのではないかなと思います。

(無意識にしていたことの方が多いと思いますが...)

たとえ、自分がやらなければいけないことがあったとしてもその反応速度(状況を理解して行動に移す時間)は大人と比べて遅いと思います。

つまり、物理的に「退屈な時間」が多かったと思うのです。

 

一方、大人はどうでしょう。

毎日同じような生活を送ることで、頭で考えなくても「自動的に」体を動かすことができるようになります。

 

朝起きたら、疑うことなく目覚ましを止め、迷うことなく顔を洗います。

これは、一見「退屈な時間」に見えます。しかし、違います。

日常習慣なのです。

生きるために必要な事をするのは退屈な時間ではありません。

 

退屈な時間とは、先ほど書いたように「何もしない」「でも、寝ない」状況なのです。

 

私自身、最後に退屈さを感じた時間はバイトの暇な時間です。

お客さんが来ないため、何もすることがない。かといって、サボる抜け道がほとんどない状況でした。

これは、確実に「退屈な時間」と言えます。

(案の定、時間を確認するたびに進みの遅さに萎えていました笑)

 

この退屈な時間と日常習慣に追われた時間の使い方明らかに質が違いますね。

 

子供時代は、親が代わりに日常習慣をやってくれます

一般的に、ごはんを作ってくれ洗濯をしてくれますね。

それを充填するかのように、「退屈な時間」を過ごすことが多くなるはずなのです。

振り返ると、意味もなく夜起きていたりしたなと思います。

この時間こそが、時間の経つ速度を遅らせる一因だと思います。

 

「退屈な時間」は良いも悪いもないと思います。

しかし、大人になってまでバイトの暇さを感じまくるような退屈な時間の使い方をしたくないと私は思ってしまいます。

子供の時の「退屈な時間」は絶対に必要だと思います。

必要と言うよりは、本来なくすことができないものだと思います。

しかし、退屈を埋めるためにひたすらゲームをやり続ける子供がいます。

時間を体感するという大切な期間を失ってしまうことに繋がるので、

ある意味時間が均一化してしまうのでもったいないと感じます

 

しかし、大人には当てはまりません。

大人は、(私が定義したような)退屈な時間を作るべきではありません

社会で生きていくことと、自分の向上心の必要性を感じるはずだからです。

この二つがあれば、自分を退屈な時間に投じることは避けるはずです。

つまり、退屈な時間にばかり身を置いていると生きる希望を失いかねません。

 

結論、大人が時間の経過の早さを感じてしまうのは悪いことではないと思います。

歳をとったからと言って、決して新しい挑戦を止めたわけではないのです。

大人になったにも関わらず、時間の経過の早さを感じない方がおかしいです。

 

 

ここで、ふと文春新書『退屈力』という本を思い出しました。

この本では、「繰り返し」によって型を体に覚え込ませることが退屈力育成に役立つと書かれていたと思います。

私の「退屈」の解釈とは違いますね。

(面白い本だったので、気になる方は読んでみてください)

 

人生の中で一番嫌いになった人って誰だろう

 

ふと「最近、人を嫌いになることが減ったな」と感じました。

「苦手な人だな」と思うことはありますが、

猛烈なほどの嫌悪感を持つことがなくなりました。

これは、「人は人、自分は自分」と考えるようになったからだと思います。

これから先もこの考えは変わらないのかなと思います。

 

となると、、、

「人生の中で最も嫌った人」というのは、

既に私の人生の中に現れているのではないか!ということなんです。

(哲学みたいになってきたぞ。)

 

過去を振り返ると、嫌いになった人のことは容易に思い出せます。

私の場合、一番となると、そうですね・・・

私の場合は、小学6年生の時の担任ですかね。

ここで、その人の愚痴を書くのは的外れなので書きません。

が、恐らく私の人生の中で一番嫌っていたと思います。

 

では、なぜ昔の担任を「一番嫌いな人」認定してしまうのでしょうか。

分析してみましょう。

 

子供は未熟であるので、他人を自分のことのように感じてしまうと思います。

「人は人、自分は自分」というより共感力が優っているのだと思います。

だからその分、他人に対して反発力が出てくるのです。

他人の考えや行動を理解しようと頑張るが、理解できない

そんなフラストレーションが積もって、「嫌い」という感情に変わるのかもしれません。

 

子供から大人になることは、ある意味「人に無関心になる」ということかもしれません。自分には理解できない人が現れたとしたら、さっと目を背けて関わらないようにする。これは、あまりにも寂しい世の中ですね。

 

奇しくも、

人を嫌う感情が盛んだった子供時代の方が他人に関心のある温かい世の中

だったのかもしれません。

 

また、自分の周りにいる人の数も原因と考えられます。

子供の行動パターンは、朝起きて学校に行き家に帰って寝ることだと思います。

中には、習い事に行く人もいます。

しかし、社会人と比べて「出会ってきた人」の数が圧倒的に少ないです。

つまり、それだけ目の前にいる人の重要度が高いのです。

 

大人は伊達に長く生きていないので、出会ってきた人の数は多いです。

つまり、次に会う人というのは過去に出会った人との比較対象になるのは必然です。

そこで無意識に目の前の人をランク付けします。

この「人間サンプル」が多ければ多いほど、

「ずば抜けた感情」を持てるような人に出会うのが難しくなります。

「一番嫌い」「一番好き」と強烈に思えることが減っていくはずなのです。

 

例えば、サンプルが2つしかないとするとその違いは感じやすいです。

サンプルが10個あったとすると、最高のものと最低のものに距離があったとしても

その中間には8つの存在があります。つまり、両者を際立たせにくくするのです。

そして、このサンプルは自分の時代によって明確に分けられます。

小学校時代・中学校時代・高校時代・大学時代・社会人時代

それぞれの時代で分けた時、サンプル数の少ない時代に出会った人間の方が

記憶が鮮明なはずです。

 

結論、「強烈な人」というのは既に出会っている確率が高いということです。

もちろん、例外はあります。

 

また「今現在の事柄」は、なにより一番鮮明なので

今嫌いな人がいる場合はその人が「人生で一番嫌いになった人」と思ってしまいがちです。しかし、数年後時間を置いて振り返った時にそう思えるとは限らないと思います。

 

 

昔の傑作は今も通用するのか問題

 

よく「不朽の名作」と謳われている映画や漫画や本や音楽がありますね。

「私は何度、この誘い文句に騙されたことか!」と思います。

 

昔に傑作と呼ばれていたものや当時興行収入が高かったものが

今現在に通用するはずがないと私は思っています。

 

一つ目の理由として、選択肢の数の違いを挙げます。

日本が戦争を終え経済が回復してきた頃、娯楽も急激に増えたと思います。

しかし、今現代の娯楽の多さに比べたら雀の涙と言えますね。

当時はアイドルの派閥は松田聖子と中森明菜で分かれている時代。

いまや無数のアイドルが量産されていて、AKBグループだけでも相当な数でしょう。

選択肢が少ないからこそ、一つの選択肢あたりの支持人数が増えます。

結果的に、大ヒットやミリオンセラーが生まれるのです。

それは、今の選択肢の多いご時世で生み出すのは並大抵のことではありません。

アイドル一つとっても、顔の可愛いさ・トーク力・歌のうまさ・愛嬌が昭和のアイドルよりも

はるかに実力の高いアイドルはたくさんいると確信しています。

もちろん、時代によって好まれるアイドル像というのは変わるはずなので

当時人気だったアイドルを否定する気は全くありません。

(その時代に生きていない私が語る資格はありません)

しかし、時代を超えて昭和のアイドルを神聖化するのは違うなと思います。

競争相手が少ないと上位層になりやすいのは必然だと思います。

(オリンピックの競技である射撃の日本選手になりやすいように...)

競争率が高いと全体のレベルがあがるでしょう。

逆も然りだと思うのです。

 

二つ目の理由として

時間経過による「スキルアップ」が挙げられます。

当時、斬新なストーリーの本が出たとしましょう。

その本は一気に日本中に広がり、皆がその本を知るようになります。

そして、その本を読んできた人たちが新たな本を生み出します。

その本の内容の斬新さ、展開の良さ、人を惹きつける文章構成など

学んだ上で、その本を越えようと努力するのです。

そして、良しと思ったものを世に出すことになります。

読者が「この本はパクリじゃん...」と思ってしまうような本は論外ですが

昔のものを超える本は何冊も生まれるに違いありません。

また、今の時代の人にあった本を今の作家は生み出しているはずなのです。

当然、理解しやすく読みやすいものは今の本なのです。

つまり、昔の傑作が今に通用するとは限らないのではないかと思うのです

 

戦争が終わり日本の人々は裕福になり、自由になったと思います。

それに伴いクリエイティブ性も養われてきたことでしょう。

過去から学び、競争も増え、物や情報も増えました。

だから、今現在生み出されるものはレベルの高いものがたくさんあると思っています。

それと同時に、

私の心に刺さる昔の傑作は少ないと感じました。

 

昔のアイドルは逸材だった」

とか「あの漫画を超えるものは未だにでてきてない」

と言ってのける老人たちは、昔の100円の価値は高いにも関わらず

「100円でこんなに買えるの〜!」と勘違いしているアホな若者と相通じるものがあります。

 

 

なりたいと思える人が消える現象について

 

最近、私は「〜みたいになりたい!!」と思うことがなくなってきたなと感じます。

 誰でも憧れる存在は多かれ少なかれいると思います。

 アイドル、モデル、アーティストまたは沢尻エリカになりたい!と考えるはずです。

 

しかし、どういうわけか私はその望みを持つことがなくなってしまいました。

(昔は沢尻エリカを望んでいた...)

 

なぜ、私がそうなってしまったのか分析していきたいと思います。

 

かっこいい!と思う人はいます。

しかし、真似たとしてもその人物を超えることができないのです。

本来、人は自分が一番素敵な存在になりたいと思いますよね。

(なんか宗教っぽくなってきた笑)

ゆえに、憧れの存在を夢見るだけではその欲望は満足しないのです。

 

だから、その人物の良い所だけを真似して他のところは自分の良さを保持したり、別の人物の良い所を取り入れたりすることがベストだと考えました。

これができれば「かっこよさのハイブリット」となることができるのです!

(誰しも欠点はあるから、一人に絞るのは危ない?)

 

この過程を経て、特定の人物本人になりたい!と思うことがなくなりました。

 

もう一つの理由として、自分はその憧れの存在のほんの一面しか見ていないことが挙げられます。つまり、いくらクールな人だって裏で嫌なことがあって、くよくよ泣いているかもしれないし性格が良さそうに見える人でも本当は冷酷な性格をしているかもしれません。

(その逆も然り...)

 

(特に画面を通して見える人)は見かけによらないのです。人を捉えることの難しさが分かってきたから「なりたい」と思える人が消えていったのかもしれませんね。

 

「プリキュアになりた〜い」と素直に言える子でありたかった...

 

 

大敵ストレスについて書く

 

無意識のストレスをいかに減らせるかが勝負

人は少なからず、日々ストレスというものを受けています。

 

原因は様々で、テストが始まる時、何かの発表の直前、嫌いな人に会わなければいけない時など意識できる出来事をストレス感じる〜」と頭に浮かぶでしょう。

 

しかし、この種のストレスは取り除くことが難しいです。なぜなら「学校がストレスだ!」と言い放って、学校をやめてしまうとリスクが大きいからです。

 

自分の人生においての大きい決断をストレスのためにすぐ排除してしまうのは、やりすぎな気がします。

(深刻な場合は別)

 

一方、ストレスは自分の意識していない所でも溜まっている可能性があります。

 

私は、自分の体調が悪くなった時ネットで徹底的に調べる主義なのですが

(病院に行く前に自分で診断!)

どの病気も原因の一つがストレスと書かれていることが多いです!

(免疫系も内蔵の不調も...)

しかし、自分が意識できないストレスを取り除くのは不可能に近いですね。

 

しかし、物理的にストレスになっていることは数多く存在します。

 

例えば、部屋のものの多さ物が多いと、無意識に目に疲れがたまりストレスを受けます。

この無駄にストレスを受けるのは非常に勿体無いことだと思います。

 

他には、温度差や季節の変わり目など、肌荒れを気になりだす人がいますよね。

それは温度変化や湿度の変化によって肌がストレスを感じてしまって抵抗力が弱まるからなのです。

 

このように、生活にはストレス発生物が溢れているのです。

 

少し、このことを頭の中に入れるだけでライフハックできるなと考えました。

 

とりあえず私は、机の前に置いてある化粧水類を別の棚に置き普段は目に入らないようにしてみました!

 

「ストレス軽減」の実感はないですがストレス要因を減らすことは嫌な気分はしませんね。

(何かを変えるだけで不思議とサッパリする)

 

あらゆるものがストレスを発生させるという事実を知ってしまった手前

部屋汚くするわけにはいきません笑

 

無意識にさらされているストレスを減らすことは自分の行動を制限させなくて済むので早い段階でやるべきだなと感じました!

 

 ネットの検索機能がアナログな件

 

ネットの検索機能は便利と言われていますが、意外と不便ですよね。

 

一般的に言われているネットの情報と本や新聞などのアナログの情報の違いを挙げていきます。

 

[ネット]

メリット 知りたい事がすぐに出てくる  

デメリット 知りたい情報しか出てこない(情報が偏る)

 

[アナログ]

メリット 幅広く知識を受け取れる

デメリット 知りたい情報を調べるのが困難

 

このような感じでしょう。

しかし、ネットのメリットに対して疑問を持ちます。

比較対象のアナログな情報よりはこれをメリットとあげる事ができますが、より便利にできる気がします。

 

ネット検索機能の現状として、キーワードを検索すると数多あるHPの中で信ぴょう性の高いものがヒットします。

信ぴょう性が高いというのはアクセス数が多かったり、情報量が多いものを言います。

 

しかし、これらのHPは自分の知りたい内容乗っていますが

圧倒的に知らなくても良い情報の方が多いのです。

 

具体的に見ていきましょう。

 

例えば、ニキビを治す方法が知りたいとします。

ここでは必要な情報は

「保湿を徹底する事」

「ビタミンを多くとる」

「よく寝る」

「3食きっちり食べる」

という事だけです。(知りたいと思ったことはこの4行だけなのです)

 

しかし、ほとんどのHPはニキビができるプロセスを立派な図までつけて解説していたり

100人程度のしょぼいアンケート結果が出ていたり無駄なものが取り付けられています。

 

興味を持つ人は良いでしょうが必要な情報をいち早く知りたい人は

スクロールしまくって知りたい情報の4行だけ読んでHPを去るのです。

 

これは、かなり面倒な行為だなと思います。

 

ネットのアナログ感にとても違和感を覚えるます。

 

「物事を理解するにはその原因も伏せて理解するのが良い!」という教育者の声が聞こえていそうですが、

「 ネットの情報だけで学びを完結しようとは思っていませんのでご安心を」と言いたいです。

(ネットの情報は怪しいということは、ネットリテラシーのある人なら分かるでしょう)

 

結果の4行を見るために膨大な情報を入れるHP作成者の気持ちはわかります。

 

それを見るために自分の記事を読んでもらうことで

アフェリエイトが効率よくできることや

アクセス数を増やす事ができる事

グーグルからのHP評価で検索上位に出てこさせる事などメリットが多いです。

 

しかし、検索エンジンはその手にまんまと乗って検索者の手を煩わしてもいいのでしょうか。

 

ネットにより便利になりましたがさらなる便利さを求めてしまうといういたちごっこですね。

 

 

エモーショナルいーティングについて 

 

 

ストレスが溜まった時、人は本能的にそれを解消する行動をとります。

 

を流してカタルシス効果に頼る人もいれば、体を動かしてテストステロンを増やす人もいるでしょう。

 他にも色々なものがありますが、その一つにエモーショナルイーティングというものがあります。

私の身にもこの現象が起こります。

 

これは、お腹が空いてるわけでもないのに食べ物を食べ続けてしまう現象です。

 私は学生時代は重いテスト前や課題前などにこの衝動が起きていました。

社会人になった今は、新しい仕事を覚えなければいけなかったり出張して環境が変わる時などに起きます。

 

それでは、エモーショナルイーティングをしてしまうプロセスを私の例に倣って分析していきたいと思います。

 

まず学生時代のケースについて。

私は「食べている間は勉強しなくて良い」というルールがあります。

つまり、やりたくない勉強から逃れるために食べてしまっているのです。

現実逃避のための行動です。勉強から回避するのを食行動で正当化しようとする心理が働いていると思います。そして、試験などが終わるとエモーショナルイーティングはなくなります。

一過性のものだと判断しています。

 

そして、社会人のケース。帰宅時、常にとてもお腹が空いてます。だから、とにかく早くたくさん食べたい衝動に駆られます。仕事が終わった開放感も相まって、わっと食べてしまいます。食べる行為は、心を(一時的に)満たしてくれます。リラックスしたいという欲求が暴走した結果、食べてしまうのかもしれません。お腹いっぱいだなと感じても、食品を探し食べてします。特に、新社会人の身としては無意識的なストレスをたくさん抱えているのだと思います。だから、しょうがないと割り切っています。

 私の場合、過食症のように病的に食べるわけでも吐き出すわけでも罪悪感に苛まれるわけでもありません。

 

 

太りやすい体質の人がエモーショナルイーティングをやってしまうと、自己嫌悪感に苛まれてしまうかもしれません。そして、自分を責めてストレスがたまり、そのストレスを発散するために再び食に走るという悪循環になると思います。

 

幸い、私は太りにくい体質なので後悔することは1mmも(1μmも)ありません

ただ、健康的とは言えませんよね。だから、ストレス発散方法としてこれはオススメしません。

私は食べるものにはこだわっているつもりですが、、食べるものがヘルシーなものだったとしても食べ過ぎたらヘルシーではないですよね。(適切なものを適度に!)

 

ストレス発散方法としては、家で歌うことをオススメしておきます笑

近所迷惑になる可能性以外は、害はないからです。

 

ストレスで人の行動が変わります。

病気の原因になることもあります。

しかし、目で見てわかるものでもないのでストレスというものは

本当に厄介なものですね。

 

美容院嫌いあるある言いたい! 

 

私は3ヶ月に1回程度、重い腰をあげて美容院に行ってます。

しかし、私は美容院が嫌いです

 髪を綺麗にするのは好きなのですが、ずばり美容師との会話が嫌なのです。

美容院嫌いな人は、共感してくださると思います。

 

美容師さんはお客さんに話しかけます。おそらく、接客マニュアルに書かれているのではないでしょうか。

そこで、日常会話をしなければいけません。

日常会話とは、基本的に自分のプライベートを話す事に他なりません。

 しかし美容師さんは初対面の人であるため、

私は自分のことをペラペラ言うのを躊躇ってしまいます。

そのため、私は特定の美容院に行かないようにしています。

つまり、髪を切りに行くたびに別の美容院に行くということです。

 

特定の美容院に行くと、会話せざるを得なくなってしまいますね。

 

 特定の美容師と仲良くなりたいという感情が生まれないからです。

(困ったもんだー)

 

しかし、それによって弊害も生じます。

新しい美容院に行くと、

「学生さんですか?」「何大学ですか?」「休みの日何するのですか?」

が王道で聞かれることだと思います。

毎回、同じようなことを聞かれるのは少し面倒くさいですね。

(美容師さんが嫌いなわけではないのですが...)

 

ここ何年かは、椅子に座った瞬時に雑誌をとるようにしています笑

これにより、髪型をどうするかくらいの必要最小限の会話しかして来ない場合があります。ありがたい話です。

 

美容院代はおそらく、美容師の接客代(会話代)も入っているはずです。

だから、接客が手厚くなくても良いので価格を下げていただければ嬉しい限りです。

(他のお客さんには需要ないか...)

 

よく美容院へ行くと美容師と親しげに話している人を見かけます。

それを見るたびに、「コミュ力高っ〜」と感心してしまいます笑

 

 そろそろ美容院を予約しなければいけない時期なので

また新しいところを見つけようと思います。

 

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