まみずハルカブログ

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マルチ・ポテンシャライトという人について【好奇心旺盛/飽き性な人必見】

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こんにちは、まみずハルカです。

みなさんは、マルチ・ポテンシャライトという言葉を知っていますか。

私は、1週間くらい前にこの言葉を知りました。

マルチ・ポテンシャライトとは、簡単に言うと

興味が移り変わりやすく、多様性を重んじ、クリエイティビティに向いている人」のことです。

 

 

マルチ・ポテンシャライトとマルチタスカーとADHDの違い

 

まず似た特徴を持つ人として、マルチタスカーADHDの方が挙げられると思います。

あくまで私の認識ですが、ざっと違いを書いていきます

 

マルチ・ポテンシャライト

ある時点で別の対象に興味が切り替わる。期間は3ヶ月くらい。今まで熱中していたにも関わらず、突然「見えた...」と思い興味が減衰する。

(のちに紹介する本の中には4パターンの特徴が書かれていましたがこのパターンが一番わかりやすいので採用しときます。)

3ヶ月という短期間であるが、その間は集中して物事を遂行できる。

 

マルチタスカー

物事を同時並行で行う。脳内で物事を切り替えずにできる。もしくは、短時間(数分数秒単位で)で切り替える。「ラジオを聞きながら勉強」など。対象は2個から3個などある程度絞った中で行き来しているイメージ。

 

ADHDの人

興味が瞬時にバチバチ変わる。特定の興味を行き来するのではなく、範囲は広い。手当たり次第興味を持つ。ちなみに、発達障害のアスペルガー症候群は同じ物事に過度に集中する特徴を示すためADHDとは全く違います。

 

マルチタスカーとADHDの人はマルチ・ポテンシャライトではないと私は思います。

しかし、その特徴の違いがどこにも記されていなかったので書いておきました。

 

マルチ・ポテンシャライトと私との出会い

 

さて、話を戻します。

私が、この言葉「マルチ・ポテンシャライト」を知ったきっかけはグーグル検索です。

たしか、「興味が変わる」と検索したと思います笑

(誰しも自分について知りたいものですよね)

そして、マルチポテンシャライトという考え方を知りました。

 

マルチ・ポテンシャライトの特徴をざっと見た瞬間、「これ、私やん!」と思いました。そこで、この考え方を提唱したエミリー・ワプニックのTEDトークを聞きました。

正直な感想として、曖昧だなと思いました。具体的に、マルチポテンシャライトが生きていくための手法を言っていなかったからです。ただ「マルチ・ポテンシャリストは素晴らしくて世界の役に立って必要な人間であること」を強調しているように見えてしまいました。もちろん、TEDトークは時間に限りがあるため十分な情報を視聴者に伝えるのは不可能だから仕様がないですね。

 

そして、このエミリー・ワプニックが書いた

マルチ・ポテンシャライト好きなことを次々に仕事にして、一生食っていく方法』という本が目に止まりました。

本の題名からして、典型的な自己啓発本という印象を持ちました。(私は自己啓発本はあまり好きではありませんでした。)

 

レビューを見ると、「この本で救われた」「自分を認められた」などの宗教の信者のような書き込みがうようよしていてなぜか私はイライラしてしまいました。

私が不満を持った理由は、「この人たちは、真のマルチ・ポテンシャライトではない。ただのフリーター・ニートもしくは意識高い系かぶれやろ。自分を美化するために、自分の都合の良い考え方に寄生するのは痛すぎる。」と感じてしまったからです笑

 

どうして、ここまで攻撃的な意見を持ってしまったかというと私はこの気質でとても生きづらさを感じていたからです。つまり、苦しんでもないのに短絡的に自分はマルチ・ポテンシャライトだ!(ドヤ)というレビュアーに一抹の憤りを感じてしまったのです。

(これは、私の問題です。すみません。)

 

一つのことに固執する人が評価される世界にずっと生きていたからかもしれません。まず、評価されるとは「表彰されること」「コンテストで優勝すること」「成績で一番になること」などです。

 

つまり、日本の教育過程を経て

特定の分野に秀でていないと評価されないスペシャリスト優位の世の中という事実を体得していたのです。その中で、生きてきて「マルチ・ポテンシャライト」の概念を知っただけで「自分自身が救われる」はずがないのです。少なくとも、スペシャリストが優位な社会は今すぐ変わるわけがないからです。

さて、自称マルチ・ポテンシャライト批判はここまでにしておきましょう。

 

この本を読む前の違和感

 

私は、この『マルチ・ポテンシャライト好きなことを次々と仕事にして、一生食っていく方法』という本を読んで見ることにしました。そもそも、私は自己啓発というジャンルの本はあまり読んだことがありませんでした。所詮、「自分の人生を自分で肯定できないから誰かの理論を借りて自分を認めよう」という他力本願な人が読むための本と思っていたからです。(あくまでイメージです。暴論です。)

そのため、

「ブログでこの本を批判してやろう」と思ったのがこの本を読もうと思った理由です笑

読む前から考えていた批判は次の通りです。

 

・結局、社会はスペシャリスト優位で、マルチ・ポテンシャライトは中途半端な名も無き人になる運命なのではないか。

 

・誰もがマルチ・ポテンシャライト性を含んでいるから、この概念が広まったら勘違い意識高い系フリーランスが蔓延するのではないか。

 

・ただの飽き性はマルチ・ポテンシャライトではないのでは。

 

この本から私が得たもの

 

このように、批判を用意していた私ですがこの本は意外にも面白かったです。

マルチ・ポテンシャライトが生きていくためのたくさん知恵が書かれていたからです。

 この本に書かれていることを要約するのはだるいので、自分の学びになった事柄だけを太字で記していこうと思います。(気になる方は、自分でこの本を買って読んでください笑)

 

・自分のマルチ・ポテンシャライトの特性がどう活かすことができるのかを人に説明できるようにする。

マルチ・ポテンシャライトの強みは異分野を行き来することができることです。このことで、斬新なプロジェクトを生み出すことができます。この「できる」というのは妄想であり、実現しなければ意味がないと思います。つまり、自分のこの特性をどう生かしどのように会社や事業に貢献できるのか、周囲の人や上司にプレゼンできなければいけません。そのためには、プレゼン力を身につけようと心の底から思いました。

 

 

・興味あることに時間を決めて、徹底的に向き合う

日常生活の中で、趣味に没頭したり別の分野の勉強に手を出すのは難しいです。

時間的にも肉体的にも精神的にも、自分の日常に追われているからです。

しかし、この40分だけと決めて自由に調べ物をしたりブレインストーミングすることで解決できます。時間を決めると、効率化できます。「新しいことを始めたいけど時間がない」というのは、日常に溺れているに過ぎないのです。これは、もったいないと思いました。

 

・たくさんのスペシャリストと話す

マルチ・ポテンシャライトが持った興味は多種多様です。だからこそ、多くの人と話が合います。スペシャリストと話すことも可能です。

これにより、広く浅い知識から広く深い知識に変容すると思います。より、多面的に分析把握できる人材になれることでしょう。

 

・選択(決断)は、思っているよりも柔軟なものであること

興味の対象が移り、時には転職など大きな決断と思われることがあるかもしれません。しかし、一度決めてしまっても一生動くことができないような選択はないのです。ある意味、気楽な選択でもよいのかなと思います。(調べることはしっかり調べた上でね。)

 

以上が、この本から私が学んだ教訓でした。 

 

世の中がスペシャリストを求めていたとしても私の気質上、合いません。

だから、「スペシャリストにならなければ!」と思って生きるのではなく

自分は異分野を彷徨ってよう!」と心に留めて置こうと思います。

前にも書きましたが、

二兎を追うものは一兎も得ず」という共通認識があるこの世でも

一億兎を追おうではありませんか!!!

 

マルチポテンシャライト兼HSPの憂鬱(私の話)

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私の気質は、マルチポテンシャライト兼HSPと認識しています。

マルチポテンシャライトとは、様々な分野で活躍することに適性がある人のことです。スペシャリストのように何か一つを極める人物像とはかけ離れていると言えます。

 

また、HSPとはハイリー・センシティブ・パーソンのことで敏感な気質を持っている人を指す。人口5人に1人の割合でHSPの気質があると言われています。HSPと書くと病名っぽいが、一つの気質を表す言葉にすぎません。

 

私は、自分自身のパーソナリティを知りたいと思い様々な文献を読んだりネット記事を読んできました。なぜなら、「どういう生き方をすれば、自分の気質にあった生き方・働き方ができるのか」という命題に落とし所をつけたかったからです。

 

HSPとマルチポテンシャライトは気質を測るベクトルが異なっているため両立すると思っていました。しかし、文献や記事には「HSPの人が向いているのはコツコツやる系の仕事で、環境が変化するような職種は向いていない」的な記載が多いです。HSPとマルチポテンシャライトが矛盾しているかのように受け取ってしまいます。確かに、HSPは刺激に脆弱でマルチポテンシャライトは刺激に貪欲という解釈ができます。しかし、全ての刺激を一纏めにするのは私は納得できません。つまり、HSPの人が脆弱なのは恒常的な刺激で、マルチポテンシャライトが貪欲なのは単発的な刺激だと思うのです。

 

例えば、太陽の光が苦手なHSPの人がいるとします。その人は室内での仕事が向いていると考え、学校の先生になりました。最初の1年間は初めてすることばかりで真面目になんでも吸収していきました。しかし2年目に入ると仕事の勝手がわかるようになり、自らの成長スピードの減退を感じました。もっと別角度から攻めた方が自分の成長につながると思いパン屋に転職しました。パン屋ではパン作り・接客・経営のスキルを身につけました。

 

ここで、初めに書いた「太陽の光が苦手」という気質はこの方はずっと持っています。環境を変えても変えなくても、HSP気質の弊害を受けない例です。(わかりにくいですかね笑)

 

HSPは人によって敏感なものが異なります。だから、HSPとマルチポテンシャライトは両立すると私は考えます。なんなら、HSPとマルチポテンシャライトの気質を持つ人はたくさんいると思います。

 

HSPについて補足します。敏感になる要因は騒音や強い光などの物理的なものに加えて、人に共感し過ぎてしまうという心理的なものがあります。人が苦しんでいるのを見るとと自分も苦しくなったり、人の本音を敏感に察知してしまうことがあります。この傾向は、「人と接すること=気疲れしてしまう」ことに直結してしまいがちです。

 

しかし、意識や習慣を変えるとこのストレスが軽減すると私は思います。参考にするのは、HSPと対照的なパーソナリティを持つサイコパスです。反社会的行動をしないサイコパスが多くいるのはよく知られている話ですが、その習性を真似ると生きやすくなるのではないかということです。HSPは感情的、サイコパスは合理的な気質です。何事も中庸が一番生きやすいので、HSPはサイコパス性を高めるのが効果的だと思います。

 

具体的には、ドラマを見る時主人公に共感するのではなく「演技うまいなあ」と思ってみたり、目の前の人の言い分のうち事実だけを聞き取ること、考えすぎていることを自覚し意識的に思考停止させてみるなどするといいと思います。

 

話を戻します。HSPの人あるいはマルチポテンシャライトは依然として現代日本社会に適応できるタイプの人間ではないと思います。だから自分で手段を見つけるか、あるいは合う環境を見つけるかしなければいけません。(HSP兼マルチポテンシャライトの方!一緒に頑張りましょう!)

 

スペシャリストが評価される世の中を考察する

 

最近、暇を持て余して哲学をしているので

その成果(?)を書きたいと思います。ゆるく読んでください。

 

「自分の人生をどうしたいか」は人によってそれぞれ違うと思います。

しかし、「何かしらで成功したい」という野望は特に若い人であれば持っている人が多いと思います。

 

自分の専門の分野を極めてスペシャリストになることが、

その道の成功者と言えるでしょう。

Apple創業者スティーブジョブズくんやfacebookのマイクザッカーバーグくんのように世界に影響を与えたいわゆる"偉人"が理想形なのではないでしょうか。

これらの偉人に憧れを抱く人は世界にたくさんいると思います。

 

自分の適性を判断して、向いていることを"仕事"にするというのが成功者への一歩だと私は考えています。自分のしたいことのためなら、努力を費やすことができるからです。

しかし、ここで私は気づきました。

 

自分の適性に合う仕事が

必ずしもスペシャリストに繋がっていないではないか!

 

たとえば、私を例に挙げて考えていきましょう。

私は、たくさんの分野に興味を持って自分の知らない領域に飛び込むことが好きです。

新しい環境に身を置くのは、ストレスがかからないタイプだと分析しています。

一つの場所や分野の中にいると外に飛び出したくなる性分があります。

つまり、成功者の絶対条件であるはずの"ある分野のスペシャリストになる"ということに私の適性が合っていないのです!悲しいですね笑

 

話を戻しますが、人は成功者に憧れます。

しかし、私は本心では成功者には憧れていないのだと思います。

スティーブ・ジョブズが亡くなって時間がたった今でも、その知名度は絶大ですね。

「スティーブ・ジョブズ=アップル」

「スティーブ・ジョブズ=iPoneの人」というイメージを人は持ちます。

では、私が死んだ後このように言われたいのでしょうか。

 

例えば、私が「AIシステムの権威」になったとしたらと

「まみずハルカ=AIの人」とイメージがつきます。

私にとってこれは全く嬉しくないことです。

もちろん、人の生活に影響を与えたという事実は魅力的ですが

このイメージが私を支配し続けるのはなんだか怖いのです。

 

領域にとらわれて、その世界だけで生きている気がするからです。

それは、とても恐ろしいことだと思います。

専門以外の分野は果てしないほどの数があるにも関わらず、

その世界だけで生きるのです。

モノに対して一生向き合っていく人、思想の世界(文学)で生きていく人、人と話すだけで一生を終える人など色々な人がいます。

 

この"枠"に固定されてしまうのが私は嫌です。

しかし私が嫌がった所で、この枠を壊すのは不可能です。

人は物事をカテゴライズすることでしか理解できないからです。

この事実があるため、私は"世に言う成功者"になることはないと思います。

私は、「成功者=偉大」という価値観よりも自分の適性を尊重したいからです。

 

私は色々な世界に足を突っ込んでいたいと考えています。

それが、「効率が悪い」「二兎を追う者は一兎をも得ず」と人に言われたとしても

私は一生そうすると思います。

どうせ、「二兎を追う者は一兎をも得ず」なのであれば1億兎追おうではありませんか!笑

自分の人生が一度きりであるのは変えられない事実なので、

できるだけ「いろいろな種類の人生」を歩みたいという願望があります。

 

あなたは、何になりたいですか。

社長ですか。研究者ですか。作家ですか。主婦ですか。

 

私は私になりたいです。


 では、また〜